真っ先に手伸ばしてくれて「やろうぜ!」って言ってくれた人たちだから、その時は本当に嬉しかったし、しかもV.I.Pだし、何ていうかそれこそスコセッシが迎えに来てくれたみたいな感覚に近いものがあった。窪塚洋介インタビュー(3/5)

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窪塚洋介/卍LINE/Reggae DeeJay/俳優


真っ先に手伸ばしてくれて「やろうぜ!」って言ってくれた人たちだから、その時は本当に嬉しかったし、しかもV.I.Pだし、何ていうかそれこそスコセッシが迎えに来てくれたみたいな感覚に近いものがあった。

やっぱりV.I.Pで一枚目出して、V.I.Pにもらったエデュケーションってやっぱりすごい大きかった。「レゲエミュージックなんだから、ミックスダウンとマスタリングはジャマイカだぜ。当たり前だろ!?」みたいなその感覚だったりとか。実際連れてってくれて、ジャマイカでの過ごし方であったりとか、ここ気をつけろとか、こうやって遊ぶんだとか、ってこともひっくるめて、スタジオワークの仕方だったりとか、アポの仕方だったりとか色々を教えてもらったんだ。一枚目の原盤だけ俺が持ってなくてV.I.Pのところにあるってのは、そういう形の証明でもある。それでレゲエやるってなった時、それこそ仲の良い仲間まで「え?お前本当にレゲエやんの」って一瞬引いたんです。何か分かったんですけどその感覚。みんなが様子を見たタイミングで、V.I.Pは真っ先に手伸ばしてくれて「やろうぜ!」って言ってくれた人たちだから、その時は本当に嬉しかったし、何ていうかそれこそスコセッシが迎えに来てくれたみたいな感覚に近いものがあった。まだ俺がどれだけ出来るかも判んない時に、俺にベットしてくれてずっと一緒に過ごしてくれた人たちだから本当に感謝してる。BOY-KENちゃんと*シバヤンキーがいて、次は卍LINEなの?っていう違和感みたいのもあったと思うんですけど、それも含めて俺は背負うべきだと思ったし別にそんなことを話題にもしないV.I.Pクルーがこっちにいてくれてる。当たり前の様に「次、営業入ったから」って言ってくれる人達と外の温度との違い。でもこっちの方が暖かいし熱いから何ともなかった。今よりははるかにプレッシャーを感じながらやってたけど、どんどん年々楽になっていったと云う感じですね。自由にと云うか。

全てはマガチンとの出会いから。あの日出会っていなかったら、マガチンがいなかったら今の俺はいないですね。

19歳で出会ったHECTICマガチンとの出会いが大きい。音楽でいうところのTERRYくんみたいな自分の人生の中で大きな出会い。西麻布J TRIP BARのあたりにMUSEだったかな。ゴッサム・シティみたいなビルだったんだけど、その地下にあったクラブでマガチンと会った。もちろん雑誌で知ってたから「やべーHECTICの人と会っちゃった」みたいなね。そしたら「明日なにやってんの?」「いや、明日は何もないです」「じゃあ事務所遊びに来たら?」って言ってくれて、「やべー原宿事務所キター!」みたいに思ったのをいまだにすごい覚えてる。そこからみんな紹介してくれたんです。マガチン周りにいた仲間たち全員。例えばワングラムSUPREMEの大村くんとか加倉井の純くんとか、Kダブシャインとかその辺の周囲にいた人たち。裏原も。これでブラックミュージックとファッションとのつながりが出来るようになるんです。そこから東京ライフに凄い拍車がかかって、楽しくなり過ぎちゃった大っきな引き金。マガチンとの出会いっていうのが俺にとってのファッションやライフスタイルが決まっていく出会いだったし、真似ばかりしてた。スウェット上下とか、金も財布に入れないで裸でポケット入れるみたいな。見様見真似で、あの人たちの持ってるものとか、部屋にあるものとか、テレビとかそういうのすら真似して揃えてた記憶がある。全ては出会いから。あの日出会っていなかったら、マガチンがいなかったら今の俺はいないですね。

リー・ペリーとは対談だったんだけど、こっちの話を全然聞いてない。(笑聲)「アイアムジャパニーズバッファローソルジャー」って俺が言っても「この間、家が火事になってなぁ。」とか。ただ向こうの一方通行で俺らが天のメッセージをキャッチするみたいな(笑聲)

*リー・ペリーとは対談だったんだけど、こっちの話を全然聞いてない。(笑聲)「アイアムジャパニーズバッファローソルジャー」って俺が言っても「この間、家が火事になってなぁ。」とか。ただ向こうの一方通行で俺らが天のメッセージをキャッチするみたいな(笑聲)80歳であんなライブを2時間とかやって、もちろんバリバリ動いてるってわけではないんだけど、何かこう揺れながらライブしてる。頭から靴まで身体中に鏡をつけてて、それですげーリフレクションするんですよ。光の当たり方によって光体みたいになっている時があって、これはもう精霊だなと思って。(笑聲)たまに客席にピカーっ!と光が入ってくると見ている方は「ありがたやー」みたいな気分になるぐらい凄かったですね。インパクトありました。

まさかあんなレジェンドと出来ると思わなかったから。やっぱりぶっ飛んでるって思いましたよ。昔19とか20歳位の時にイエローか何かに見に行ったんですけど、こんな感じの大きいジョイントをブースで吸ってて。やっぱりスゲェの吸ってんなリー・ペリーってなって、それがボォーとかいって客席に回し出して。(笑聲)さすがキングだと思いましたね。楽曲はダッピーズバンドのオケでできたので。ダブセッションというかね。それであの人今はもう機材はいじらないみたい。歌う事が気にいっているみたい。俺ら今回はミックスもやってもらえるもんだと思ってたんだけどね。そんな甘い感じではなかったです。でも今回のアルバムはほぼコンビなんだけど、リー・ペリー以外は友達ですね。リー・ペリーも友達ですって言いたいですけどね。精霊だからね。(笑聲)でも本当にお姉ちゃんとかまだ全然好きなんだって感じだったし、楽屋の外からピンキー超狙われてて。(笑聲)そしたら隣りにいたCozzyが勘違いして自分のこと見てると思って「ヤーマン!」とか言って話しかけに行ったら、「お前じゃねえよ!」みたいな顔されて(笑聲)、 しかもリー・ペリーがタバコを吸ってたんだけど、パソコンでタバコを消しちゃうっていう。(笑聲) 通訳の人が「そんな事やっちゃダメよ」って言ったらペン貸してって’’アイアムアファイヤーバッドボーイ’’って書いて。ぶっ飛んでいたね。《それじゃあいただきますって言っていただいてきました。お宝です。(Hot Cozzy談)》

でも本当に日本人が忘れかけているようなアティチュードを思い出させてくれる。だから戦後の日本はこういう感じだったのかなって思う事がいっぱいあった。

先に俺らがオケ(トラック)を選んで、DUBだしダッピーズバンドいいじゃんってなって、そこに乗せるテーマも決まっていて電気の歌なんですよ。みんな電力って言う会社のダブなんで。実はコンビアルバムに俺はそれを入れたいって思っていたのもありつつ、有太マンがシンゴ西成とリンクがあって、俺とシンゴ君と両方に声をかけたんです。まず俺とシンゴ君と会ってリリック作って録ってそれからリー・ペリーが東京に来たタイミングでキャッチしてスタジオに来てもらった。スタジオで俺らが録音したんですよ。だからオペレートしていたのは俺なんです。(笑聲)これは俺がやるしかないって「キング!」とか言って、「ワンモアタイムプリーズ」とか「ボンボクラ」とかそういう感じでキューを振ったんです。それでいい感じにエンジニアの人が機材を回してくれて録れたんです。それも含めていい経験になりましたね。リー・ペリー以外にも1枚目のアルバムにはロッカーズに出ていた*ボンゴマンと言う有名なアーティストに叩いてもらったりとか、何気にジャマイカンフレーヴァー多いです俺の作品は。ジャマイカに行くと「Mi Dee Jay!」とか言うと、すぐに「DeeJayしてみろ」って言われて、やんないとその街での暮らしが凄く面倒くさいことになるんです。(笑聲)そいつがちょっとした町内のリーダーみたいな奴だと、「プッシーヨー!」とか言われちゃったり「昨日お前DeeJayしなかったからプッシー野郎だ。」みたいな感じで超遠くから叫んでたりとか。そう言われるのが嫌で今度は歌うじゃないですか、最初はやけくそみたいなとこもあったけど、そうするとあいつらちゃんと聴いてくれているんです。日本語でやってるから分からないなりに超聴いて壁を叩いたり「ボンボクラー!」ってアガがってくれるから。やっぱりやるかやらないかを凄い見てるのかな。根性入ってるのか入っていないのかを見ていて入ってない奴には容赦ないし入ってる奴には歓迎してくれるすげーわかりやすい所だなって思った。でも本当に日本人が忘れかけているようなアティチュードを思い出させてくれる。だから戦後の日本はこういう感じだったのかなって思う事がいっぱいあった。俺は戦後の日本を知らないけどエネルギーとか喜怒哀楽とかジャマイカにあるそういうものがすごく元気にさせてくれたり、気づかせてくれたりとかしてくれる国なんだ。

あっち側が求めているものに合わせて作品を作り出したら終わりだと思うんです。そうではなくてこっちは「これを聴いてくれ!やばいから聴いて!」って言う方が絶対いいよね。窪塚洋介インタビュー(4/5)☞ 続く

今時代が変わって帝国が崩壊するような時代になったから、インディーズノリのこの方法論でメインストリームを走り抜けられたら最高に面白いだろうなと思ってる。窪塚洋介インタビュー(2/5)☞戻る

*V.I.P:
V.I.P INTERNATIONAL RECORDS。1989年 V.I.P BANDを結成。日本ではじめてのレゲエ・ダンスホール・バンドとして「V.I.P SHOW CASE」と銘打ったイベントを精力的に行い、多くの日本人DEE-JAYを発掘、育成してきた。その後、ニューヨークのBOOGIE DOWN PRODUCTIONで活躍していたJAMALSKI、レゲエの本場ジャマイカで人気のDEE-JAY CAPLETON、BOUNTY KILLER等インターナショナルに活動するアーティストのバックバンドを務める。グラミー賞受賞のSHABBA RANKSの日本ツアー、女性ラバーズ シンガー J.C LODGE、アメリカの伝説的ラスタ・ハードコアバンドBAD BRAINS、カリフォルニアのLONG BEACH DUB ALL STARSのフロントアクトをこなすなど実績も豊富である。1992年よりV.I.P INTERNATIONAL RECORDSを立ち上げる。今日のレゲエを中心とした日本のアンダーグランドシーンに大きな影響を与えた。

*ボーイケンちゃん:
BOY-KEN(ボーイ・ケン)、日本のレゲエMC。所属レコード会社はcutting edge・avex trax、所属事務所はV.I.P INTERNATIONAL RECORDS。

*シバヤンキー:
SHIBA-YANKEE。新潟県出身。V.I.P INTERNATIONAL RECORDS所属のレゲエMC。 超絶早口が持ち味のズバ抜けたスキルと様々な事柄を研究し尽くし研ぎすまされた言葉選びと言葉遊び、高いポテンシャルを持つ唯一無二の存在である。

*HECTIC:
「ヘクティク(HECTIC)」はプロスケーター江川芳文と古着屋ビンテージ・キングのバイヤー真柄尚武が1994年にオープンしたショップであり、そのオリジナルブランド。ショップオープン当初はセレクトショップであった。スケーター御用達ブランドやヒップホップ系ファッションのアイテムを多くセレクトして人気となる。後にオリジナルブランドをスタートすることになる。オリジナルブランドには、Seesaw、MadHectic、Masterpieceなどがある。

*ワングラム:
有限会社ワングラム SUPREME日本の正規代理店。

*ボンゴマン:
Bongo Herman その名の通り、ジャマイカ/キングストン生まれのボンゴ奏者。半世紀に及ぶ音楽活動で、60年代ロックステディ〜70年代ルーツレゲエ〜80年代ダンスホール〜現在に至るまで数々の名曲で名セッションを生み出した。映画「ロッカーズ」でのちょい出演でも有名。


強烈な個性と信念でシーンに一石を投じ続ける男。卍LINE a.k.a. 窪塚洋介の哲学を五行(仁義礼智信)で紐解く。世の中の誤解と不条理に対する卍流“愛”の形から見えてくる答えがある。「我のみ知る道、愛を持って」

Name: 卍LINE / a.k.a. 窪塚洋介
DOB: 1979
POB: 横須賀、日本
Occupation: Reggae DeeJay / Actor
http://www.manjiline-amatorecordz.com/
https://twitter.com/amatorecordz
https://www.instagram.com/yosuke_kubozuka/
https://lineblog.me/kubozukayosuke/

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