スーパー・ローカルに世界が目を向ける。浅草を根城にグラストンベリー・フェスに出演する浅草ジンタ。グローバルな世の中、ローカルがより一層強調される。

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INTERVIEWS:
Oshow(浅草ジンタ)

浅草一番星

明治の時代、西洋音楽の普及に貢献したジンタ(軍学隊)。令和の時代、郷愁と血湧き肉踊る律動、魂と土着音楽を囃しに浅草ジンタがやってくる。「インディーとメジャー」「ローカルとグローバル」表裏異質の二面生を内包してやってくる。国民的TV番組『笑点』で日本のお茶の間を沸かせると同時にグラストンベリー・フェスティバルで異人を魅了する。異文化の消化、己が文化の昇華。Oshow流ハイブリッド・カルチュアのルーツと魅力に迫る。グローバルな世の中、ローカルがより一層強調される。

-青春時代のミクスチャー

俺は*スターリンをはじめ、*ピストルズとかリアルパンク世代でもあったと思うんだけど、どちらかというとオールディーズでした。部屋でミラーボールを回しながら音楽を聴くような、ちょっとロマンチックなアメリカングラフィティみたいなものに興味があるくらいでした。音楽よりも絵の方に興味があって、美大に行くために一日に十何時間も描いてましたね。

美大に入った頃、ウッドベースを積んだ*ダットサンフェアレディのオープンカーが大学の入口に急に現れて、ロカビリー界の重鎮*デュークアンドサミッツが、いきなりパフォーマンスを始めた事がありました。その時にエンジニアリングブーツだとか、ロールアップジーンズのことを初めてかっこいいなと思ったし、そこからロカビリーのレコードを聴くようになっていきましたね。

*デュークアンドサミッツ(Duke & The Summits)
ジャパニーズ・ネオ・スウィングの元祖。サミッツが残した唯一のアルバム『Use Your Tongue』は出来ることなら聴いて欲しい。

俺らの大学は、音楽、古着、バイク等ビンテージカルチャーに傾倒してる学校でした。ロッカーズのバイクがバーっと並んでたり、モッズのバイクが並んでたり、音楽もブルースを始めロカビリーからパンクからガレージからレゲエからスカまで、もうなんでも混ざってやってた感じでした。上には*トム・キャット*フライングキッズ*ビギンだとか、俺らの世代は*ジャッキーアンドセドリックス、オナペッツなんかがいて、当時はスカパラより早くスカバンドでやってた奴らもいたし、そんな連中と学食なんかでよく一緒に演奏してましたね。

*ジャッキー アンド ザ セドリックス(Jackie and the Cedrics)
Jackie T-Bird(Dr)、Rocin’ ‘Thunder Bolt’ Enocky(Gt)、Rockin’ Jerry Bean(Ba)のスリピースバンド。オリジナル曲と共に50年代ガレージ・サーフ・R&Rをカヴァーし、日本はもとより世界中で高い評価を得ている。

-ロカビリーとミックス・カルチュア

その頃は、ネオロカ、ピュアロカって言われるロカビリーをガッツリやってました。*サミー・マスターズとか、白人なんだけど黒人の音楽に影響されながら、カントリー的なものも滲み出てる様なものが好きでした。それにカントリーはアイリッシュにハワイアン、黒人音楽が混ざるとこまで遡れる。黒人の音楽をやるなんて下品だとかそういう時代の中で、貧困層の中から白人の*エルビスみたいな奴が出てきて、ロカビリーを作っていった。だからロカビリーって黒と白が混ざった最初のミクスチャーだと思うんです。

*サミーマスターズ(Sammy Masters)
ロカビリークラシック『Pink Cadellac』『Rockin’ Red Wing』で知られ、スモールコンボを主体にした楽曲はロッキンジャイバーに延髄のナンバーが多く、今聴いても全てが新しい。

ロカビリーはリズムが面白いんです。ちょっと引っかかって跳ねてる感じでエイト(ビート)っぽくやってんのにスイングしてるみたいなリズムになる。そういうものが面白くてバンド組み始めました。スラップベースのスタイルは、ブルースの時代もそうだし50年代にはもう確立されたものがあって、エルビスなんかの初期レコーディングは、 ドラムなしでスラップベースとギターと歌だけ。「♪ドゥンチキ ドゥンチキ ドゥンチキ ドゥンチキ ドゥンチキ」ってスラップベースがリズムを刻むスタイル。

俺は、そういうものに凄く興味があってメンフィスの*サンスタジオまで行きましたね。車で旅をしてたんだけどモーテルに突然黒人たちが入ってきて電話線パッと切られて、でっかいナイフで金出せって脅されたんですよね。本当に生きてて良かったんだけど、強盗に遭って英語の話せない俺は、現金ないからバコッて殴られて顔面骨折。悔しかったですね。全部持っていかれて、こんなに好きで来たのに、何やってんだろう俺みたいになりましたね。「ヘイ、ロカビリーボーイ!」とかって馬鹿にされて殴られたんだけど、まあ本物じゃねえし馬鹿にもするよな。だから俺は、もう英語で歌うのやめようって、逆になりてぇしと思ったのを覚えています。

*サン・スタジオ (Sun Studio)
ロックンロールのパイオニア的存在であるとともに、ハウリン・ウルフ、B.B.キング、ルーファス・トーマス、ロスコ・ゴードンを初めブルース、リズム&ブルースの黒人音楽を多く録音した。

ー ハードコア・ミクスチャー・バンド・デスマーチ艦隊

ヨーロッパでリバイバルされたロカビリーブーム。それが新たな時代の最初のミクスチャーだったと思うんです。その後は、ミクスチャーっていうとヒップホップのイメージがあるけど、そうじゃなくてスカっぽいけど、パンクっぽいものとか、ロカビリーなんだけどパンクだとか、色々なものをクロスオーバーさせたミクスチャーバンド。だから俺はミクスチャー世代にいたんです。アンダーグラウンドのテレビで*マイティ・マイティ・ボストーンズを見て「あ!こういう俺がやろうと思ってたようなことって、もうやってんな」と思ったんです。当時、俺が考えていたのいは、スカとロカビリーを混ぜるスカンビリーみたいなことだったけど、まあ普通にいるよねと。俺は、世界中どこにもないものをやりたかったですね。

*マイティ・マイティ・ボストーンズ(The Mighty Mighty Bosstones)
音楽のメインストリームで、スカパンクを普及させた先駆者。1980年代のハードコアパンク、1970年代の2トーンスカシーンから強い影響をうけたミクスチャーバンド。

何処にでもあるマーチングとパンクをクロスオーバーさせて世界まで昇華した奴はいなかったし、俺なりに日本のメロディーと雰囲気でミックスしていくロジックみたいなものが自分の中で生まれました。マイティ・マイティ・ボストーンズの存在を見たり、メンフィスの経験もあったり、日本に来たパンクブームではみんな英語で歌ってたし、思いっきり日本語でどこにもないもの、軍歌的なものもオマージュしたハードコアなミクスチャーバンド。それが’’デスマーチ艦隊’’でした。’’浅草ジンタ’’の根本ですね。

エジャニカって言葉を考えてて、ラスティックは最初生楽器でパンクをやるって意味だと聞いていたけど、俺はどちらかというとアジアっていうものを核として意味を持たせたかったんです。だからエジャニカはアジアっていう意味です。それに『ええじゃないか節』とか、ええじゃないか騒動も村人が国に対して、言いたいことが言えないから暴れるっていうパンク精神も感じるしね。デスマーチ艦隊の終わり頃には、日本のメロディのバラードも書いてて唱歌とかに影響され始めたんです。それで自分の中にロジックが出来たのは、デスマーチ艦隊がメジャーを降りたときです。メジャーの時は、案件は多いが海外に行くとかはなく、俺は世界に行きたいからって降りたんです。案件こなすよりも、俺は世界のワールドミュージックの一つとして存在したいと思っていたんです。

それでデスマーチ艦隊を解散してチューバと大太鼓を入れたマーチングバンドを作ったんですけど、ただ日本ぽい曲やってるだけじゃん!どこかリアリティがないってのが根強くあったんです。ニューオリンズのブラバンドとかも見に行っても素晴らしかったけど、大太鼓とチューバとかスーザフォンを入れてたら、まあそういう風には見えるんですけど、大事なのはメロディなんです。それでバカに振り切った’’百鬼の行列’’ってバンドをやって辞める頃、俺は浅草にフラッグ立てることに決めたんです。

*高円寺GEAR
高円寺の雑居ビル「第8東京ビル」の地下一階にあった。高円寺パンクロックの象徴であり、パンクスたちの拠り所であったが、2009年に惜しまれながら閉店。

*デスマーチ艦隊
1996年結成、1997年メジャー・デビュー、1999年活動休止。スカコア、パンク、ガレージ、デキシーランド・ジャズ、60s、サイコビリーなどをルーツに、軍歌などの日本人イズムをミックスさせ、世界にどこにもない音楽性を追求した。

*百怪ノ行列
デスマーチ艦隊を解散させたダイナマイト和尚が、エジャニカ・サウンドをハードマーチで演奏するスタイルを突き詰めるために結成したバンド。

ー “っぽい” ものではなく根っこのある音楽

浅草ってハリボテ感があるんです。戦争で一回全部燃えて、当時は浅草1丁目1-1の神谷バーぐらいしか残っていなくて、その他はほぼ全部建立し直したと聞いています。その時に外国からたくさんの人が入ってきて、良い肉、良い酒を持ってるのはやっぱり外国人で、そういう人達に日本人は頼って飲み食いするしかなかったとも聞いています。そういった歴史の上に、浅草寺のホッピー通りがあったりします。本来、道路で飲み食いしたらダメでしょ?でもそれが言えない雑多なものが浅草にはあります。俺が浅草に行った頃は、ほんと浮浪者が沢山いました。18時くらいになると、アーケードにズルズルとダンボール持って集まってきて、それを敷いて寝る人も多く、隅田川沿いなんかはずっーと青い家(ほったて小屋)が建ってましたね。

自分の親は麹町生まれですが、浅草に行った時は知り合いが1人もいなかったです。ヨーロー堂さんだけは知ってたけど、あとは知り合いがゼロでした。だから町が頼むことは、なんでもやりました。落語芸術協会のこともそうだし、頼まれたことに関しては、積極的にどんな小さな場所でもやりましたね。当時、浅草にはカルチャーポイントは何もなかったです。それで俺は色々なジャンルのアーティストが集まれるような場所、弾き語り位はやる事が出来る小さなバー〈銀幕ロック〉を作り、その数年後に〈浅草ゴールデンタイガー(現在の下町ゴールデンタイガー)〉というDJ BARを作り、そこをカルチャーの中心にして、人との交流を持つようにしたことで、浅草を盛り上げようと思ってる人たちと話したり、遊んだりするようになった延長に浅草でのフェスがある。

*銀幕ロック
現在は当時の店員に引き継いで営業中。

*浅草ゴールデンタイガー
惜しまれながら閉業。場所を変えて下町ゴールデンタイガーが運営されている。

ー 浅草一番星

俺、あえて自分で浅草一番星っていってんですよ。そうすると生意気なこと言いやがってと、なんなのお前らと、飲み屋でずっとありました。「俺はここの生まれなんだけど、なんか騒がしいことやってんな」みたいなこと言ってくるから「だってお前ら何もやってないじゃん」って俺が言うんだ(笑)。そんな感じで強気で戦っていくと、意外と知らない間に味方になってくれたりする。最初はそんな感じでした。だから村っちゃ村ですね。

お金さえあればお店は出せるでしょ。だから全く関連がなかったり、街のためにやろうとしてる人って意外と少ないんです。浅草とかつけりゃ売れると思って、お店だしてもすぐに潰れるみたいなことばっかりです。浅草だから何でも上手くいくみたいな錯覚があるけど、そんな簡単なものじゃない。イベントも同じく。大きなイベント会社が、お金目的でシーンのない適当なイベントをやっても、消えていくものは消えていく。浅草には、どんどん新しい人が入ってきて、どんどん消えていく、そういった意味の雑多さもあるんです。

浅草ジンタの「ジンタ」は、サーカスの呼び込みの楽隊という認識はありますが、元々軍楽隊が民営化したものなんです。街で最新のクラシックとか西洋音楽を大衆に聴かせる小楽隊、それがジンタの元なんです。だから浅草ジンタは、浅草の小楽隊っていう意味なんです。「ジンタ」は、小遊三師匠がつけてくれたんですけど、実は「浅草」をつけてくれって言ったのは俺なんです。それだけの人にお墨付きをくれと。「浅草ってなっちゃうと狭くなっちゃうよ」って小遊三師匠が言ってくれたんですど「いいんです。浅草から、ローカルから世界に行くバンドなんで。」って。それによって赤裸々な話だけど、浅草のガヤにもう言わせないよと、それだけ活動もするし、結果も残すから、堂々と浅草一番星になるって俺なりの意思表明だったんです。

じゃあ浅草ジンタのメロディーってなんなんだっていうところをずっと考えながら追求していくと、日本の音楽って結局、演歌は半島の方から来てるけど、雅楽から唱歌や軍歌の存在が大きいと思ってます。自論ですが、例えばゴジラのテーマ「♪ドシラ ドシラ ドシラソラシ ドシラ…」あれは伊福部先生が書いたメロディだけど、そもそもあれは抜刀隊とかの曲のイメージを書き換えたんじゃないかな?とか。そういうことを考えたりね。オールディーズにも郷愁を感じる俺らが受ける郷愁、日本人なりの郷愁ってことを常に考えています(了)

*伊福部昭(いふくべあきら)
1935年『日本狂詩曲』デビュー。シンプルな旋律の反復・展開が特徴で、これはアイヌ先住民音楽の影響されたもの。民族的旋法を使用し、「西洋音楽はリズムを無視した結果袋小路に陥った」として変拍子の日本節(リズム)の復権を主張した。


〈PROFILE〉

2002年頃、浅草でローカル&グローバルをテーマに活動開始。2004年に三遊亭小遊三より「浅草ジンタ」と命名され、公益社団法人 落語芸術協会に客員所属する孤高の土着型ロック・バンド。地元に根ざした活動をしつつ、世界最高峰のグラストンベリー、フジロックを始めとする国内外のフェスに多数出演。その他、ビートたけしや楳図かずおとのコラボレーション、TVドラマ劇伴書き下ろし、国民的番組『笑点』出演、舞台音楽制作等、幅広く活躍中。


<ライブ情報>

【浅草音天花やしき 2023】
日程:2023年5月27日(土)・28日(日)
場所:浅草花劇場(東京都台東区浅草2-28-1)
  https://www.hanayashiki-kagekijo.com/
時間:[DAY1]開場13:00/開演13:30
   [DAY2]開場12:00/開演12:30
料金:2日通し券9,000円(最優先入場)
   [DAY1]前売券4,800円/当日券5,300円z
   [DAY2]前売券5,800円/当日券6,300円
   ※入場時にドリンク代600円別途要

出演:
[DAY1]
BAND:浅草ジンタ/THE SKA FLAMES/JUNIOR/THE STARBEMS/ONE TRACK MIND/casquettes/ミートザホープス
DJ:森 雅樹(EGO-WRAPPIN’)/岸野雄一/珍盤亭娯楽師匠/INAMI(東京ロンドン化計画/下町音選)/KAKEI(the WILD ROVER/呑呑ナイト)/Kzoo(Tramps/bon\O/doll)/TAMAE(ponytailz)

[DAY2]
BAND:浅草ジンタ/かりゆし58/オメでたい頭でなにより/LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS/The Biscats/ウルトラ寿司ふぁいやー/東京サイコパス
DJ:綾小路 翔(氣志團)/EDDIE(MAD3)/DJ皆殺し(LD&K)/ヒダカトオル(THE STARBEMS)/YOU-DIE!!!/KOGA(KOGA RECORDS/ROCKET K/Venus Peter)/aits(BLANK GENERATION/DRINK’EM ALL)

主催:浅草音天祭実行委員会
企画:株式会社ローラーゲイト
協力:下町ゴールデンタイガー
制作:アロージャパンエージェンシー合同会社
問合:info@arrowjapanagency.com

《前売りチケット販売期間》
2023年4月2日(土)18:00〜2023年5月27日(土)23:59
※コンビニ受付終了:2023年5月26日(金)23:59
※先着順整理番号の付与となります。

お申し込みはコチラから↓
https://t.livepocket.jp/e/nonten2023

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