海外のギター・ヒーローに憧れた少年が音楽だけでなくファッションに目覚めるきっかけについて当時を振り返ってもらった。ギタリスト・Charインタビュー(1/3)
-
INTERVIEWS:
Char / ギタープレイヤー
古くから「表現者」と「ファッション」は、互いに密接な関係性を持ってきた。身につけている服装や装飾品もまた、表現者の「アイデンティティ」を示す上でとても重要な要素だからである。
日本が世界に誇るトップ・ギタリストのCharは、1976年に「Navy Blue」でデビューすると、「Smoky」、「気絶するほど悩ましい」、「闘牛士」といった名曲を次々に発表。当時、白いセットアップ・スーツとフェンダー・ムスタングを手にパフォーマンスするスタイリッシュな姿は、多くの人々の記憶に刻まれていることだろう。
そのCharが、デビュー45周年を迎える2021年9月29日に新作『Fret to Fret』をリリースした。アルバムには、山本寛斎やデヴィッ ト・ボウイとの仕事で知られる日本初のフリー・スタイリストである高橋靖子を歌ったナンバー「Stylist」が収録されているのもトピックだ。今回、Charを象徴するアイテム =ハットへのこだわりや、色褪せない名盤『Char』(1976年)のジャケットで「白いスーツ」の身に着けた経緯など、自身の表現する上で欠かすことのできない「ファッション」の重要性について語った貴重なスペシャル・インタビューを3週にわたってお届けしよう。
Part1は、 海外のギター・ヒーローに憧れた少年が音楽だけでなくファッションに目覚めるきっかけについて当時を振り返ってもらった。
帽子はパッと身に着けるだけで
「違う自分」になれるんだよ
──16年ぶりとなるニュー・アルバム『Fret to Fret』には、日本初のスタイリストである高橋靖子さんをモチーフにした「Stylist」が収録されています。その楽曲にちなみ、今回は『ファッションと音楽』をテーマにお話を聞かせて下さい。若き日のCharさんが「ファッション」を意識したのはいつ頃ですか?
ファッションに対する価値観っていうのは、年齢や過ごした年代によって変わってくると思うんだけど……小さい頃、俺が影響されたのは「海外アーティストの写真」だね。中学生の頃にクリームの写真集を見て、当時の(エリック)クラプトンの格好には一番憧れたかな。アメリカのカジュアルな感じとは違った「ファッショナブルなヒッピー」ってルックスだったんだよ。思い返してみると、その写真集では「スタイリストがついていたのかな?」ってくらい全員のファッションがキマっていたんだよね。パンツやブーツ、リング、ハットに至るまでビシッとコーディネートされていて、子供ながらに「こんな着飾り方があるんだ」って感じたのを覚えてる。でも……当時の俺にとって何よりも重要だったのは「髪型」だね。早く頭髪自由な学校に行きたいって気持ちだった。何を身につけるかってこと以前にさ、髪が長くないといくら「それっぽい服」を着たってまったく似合わないんだよ(笑)。
──たしかにそれは、多感な中学生にとっては大問題です(笑)。
今はもうなくなってしまったけど、高校1年生の時に横浜野音のイベントに出ることになったんだけど「他の奴らにナメられちゃいけない」ってことで、お袋のカツラをかぶって、出演バンドのミーティングに出たりもしたんだよ(笑)。その姿のまま京浜東北線で関内へ行ったのを覚えてる。15~16歳のくせに背伸びしていたね。でも暑苦し過ぎたから、肝心の本番では脱いじゃったんだよ。そしたら他の出演者から「え、なんで髪切っちゃったの?せっかくの長髪がもったいない」なんて言われてさ(笑)。だから高校で髪を伸ばせるようになって、ヒッピーみたいな格好をし始めた時、親父には本当に嫌がられた。シャツはズボンの中に入れろとか髪を切れとか、散々言われたよ。
──なるほど(笑)。若かりし頃に身につけていた服で思い出に残っているものはありますか?
俺らがガキの時代だと、選択肢はJUN(※ヨーロッパ・テイストのブランド)とVAN(※アメリカのアイビー・リーグ・ファッションを手本にしたブランド)しかなかった。VANがトラッドなデザインで、JUNはヨーロピアンなクラシカル・エレガンスをイメージしていて、どちらかというと俺はJUNのほうが好きだったな。シャツの柄も派手でヒッピーっぽかったし、襟の大きさも何パターンもあったからね。ただ中学生の俺はバスケをやっていて、基本的にはずっと坊主だから、どうしてもVANのほうが似合ってしまうという(笑)。
──もどかしいですね(笑)。では自分が身に着けるアイテムを意識するようになったきっかけは?
それはやっぱり子供ながらに人前に出るようなってから、初めて意識するようになったと思う。あと今でも覚えているのが、5歳年上の兄貴が買っていた『平凡パンチ』や『プレイボーイ』といった青年雑誌のファッション・コーナーに、ロンドンやニューヨークで流行っているファッションがイラストで紹介されていたんだよ。そこでたまたま目にしたエナメルのコートがカッコ良かったから、母親に「誕生日プレゼントにエナメルのコートが欲しい」って言ったんだよ。そしたら「あんた何考えてるの?!」って怒られたのを覚えてる(笑)。思い返してみると、それが自分で「この服をを着たい」って意識した最初の出来事かもしれないね。
──個性を抑圧するような時代だったのでしょうか?
そうかもしれないね。兄貴たちの時代は「帽子」というよりも(学生運動の)「ヘルメット」だったし、もっと言えば親父なんかは軍服だったからね。だから男がファッションで何か表現するというのは、勇気が必要な時代だったんじゃないかな。俺らはノンポリなピースな雰囲気で育ってきたんだけど、大学に通い始めた兄貴もすぐに染まっちゃったんだよ。ついこないだまでディープ・パープルを聴いていたのに大学へ行ったらチャーリー・パーカーになっちゃうし、読んでいる本も『平凡パンチ』から『朝日ジャーナル』になったりして……あれにはビックリした。しかも俺と同じ空間にはいたくないってことで部屋の真ん中に間仕切りを作って、どんどん自分だけの世界に向かっていったというか。学園祭に行った時にもそういう雰囲気を感じたよね。遠くから学生たちのアジる叫び声とか聞こえてきて、妙な緊張感があったからね。
──雑誌以外だと、気になるファッション・アイテムの情報はどのように得ていたんですか?
アマチュア時代は、毎週のように野音でやっていたコンサートを観に行っていたんだけど、そこに集まっていたお客さんの服の着こなしがカッコ良かったんだよね。「このケツの穴まで見えそうなローライズ・パンツやブーツはどこに売っているんだろう?」と気になったアイテムに関しては、「すいません、どこで買ったんですか?」って声をかけたりして。そしたら「ブーツにも松竹梅があって、一番高いのは青山の〇〇〇って店だけど、お前みたいなガキは四谷の▲▲▲に行けば手に入るよ」なんて教えてくれるわけよ。で、実際にそのお店にロンドンブーツを買いに行ったのを覚えてる。でも安物だからさ、レコーディングの仕事で新宿御苑のエレック・レコードに行く時に、電車を乗り換える新橋駅でブーツのヒールが突然取れちゃってさ(笑)。スーツを着た大勢のサラリーマンがいる中で、機材を担いだまま階段を転げ落ちていったんだよね。カッコつけて肩で風を切って歩いていたはずなのに、情けないやら恥ずかしいやら……もう悲喜劇だよ。それからはブーツはちゃんとした高いものを買うようになった(笑)。
──(笑)。ちなみにバンド活動を始めた当時、ステージ衣装はどうしていたんですか?
基本的には全部自前だったね。昔の思い出話で言えば、今も一緒にやっている佐藤準(k)は、出会った時は学生服を着た銀縁メガネの少年って感じだったんだけど、原宿のブティックで働いている女の子と付き合い始めた途端、彼女から「ロック・バンドやるんだったらそんな格好じゃダメだよ」って全身コーディネートされたんだよ。で、ある日突然、メガネは縁無しになって、靴はロンドン・ブーツ、トップスもフェイクファーを着て登場してさ、最初は誰だかわからないくらいの大変身だった(笑)。まさに「彼女はスタイリスト」(※新曲「Stylist」の一節)だったね。子供とはいえ、忘れられない出来事だったよ。
──当時のCharさんはどんな格好をしていたんですか?
高校生の時は、ヒッピーやブリティッシュ・ハードロックだけでなく、ソウルやR&Bの黒人ミュージシャンに憧れるようになって。俺がハンチングをかぶっているのは、ダニー・ハサウェイやカーティス・メイフィールドがきっかけなんだよね。彼らの写真を見て「でかいハンチング、カッコいいな」って真似をし始めたんだ。まぁ、あとになって、大きなアフロ・ヘアーを収納しなきゃいけないって実用的な意味があったことを知るんだけど(笑)。ほかにも中学3年生の時に観た映画『ウッドストック』の影響も大きかった。そこで初めて動く黒人バンドの姿を目にするんだけど、スライ・ストーンやラリー・グラハムのファッションがすごくカッコ良くて。ハットに羽を付けてさ……まさに今の俺(笑)。だからその頃に撮った自分の写真を見ると、大概は帽子をかぶっているんだよね。帽子ってさ、パッと身に着けるだけで「違う自分」になれる気がするんだよ。例え髪型がボサボサでも、被ってしまえば手軽に「Charになれる」みたいなね。あと原宿の竹下通りにあったHARADASって店では、黒人ミュージシャンが履いていそうなフレア・パンツや、デカい襟のシャツをたくさん取り扱っていて。価格も手頃だったからよく行っていたな。そうやってロック少年、ロック少女は、いろんな意味でオシャレをしようと工夫していたように思う。特に70年代の中頃までは、みんな髪も長くて男女の見分けもあまりつかないし……一番ユニセックスな時代だったかもね。
日本の音楽史において欠かせない名盤『Char』で白いセットアップを身に着けた理由や多忙を極めたデビュー当時の思い出について語ってもらった。ギタリスト・Charインタビュー(2/3)
自身が身に着けるアイテムへのこだわりや、表現者がオリジナリティを形成していく過程などについて話を聞いた。ギタリスト・Charインタビュー(3/3)
PROFILE
Name: Char
DOB: 1955/6/16
POB: 東京、日本
Occupation: ギタープレイヤー
公式サイト(ZICCA.net)
Char Offical Channel(Youtube)
Char Official Instagram Account
Char*moc BAND COLLAR SHIRTS
Charとmocのコラボレーション・アイテムとして制作されたオリジナル・バンドカラー・シャツ。「Charを着る」をコンセプトに、男性だけでなく女性でも身に着けられるようにデザインされたこだわりのアイテムに仕上がっている。ぜひこの機会に手にとってみてほしい。身幅と腕まわりにゆとりを持たせたサイズで仕立てられており、胸元にはCharとmocの象徴的なロゴとサインが同系色でさりげなく刺繍されている。携帯や財布といった小物類がザクっと入る前身頃ポケットもこだわりのポイントのひとつだ。薄手羽織の感覚で着ることができ5月から10月頃まではアウターとして、冬にはコートやジャケット下にも着用できるる便利なアイテムといえるだろう。
■お知らせ
只今、NAVY及びBROWNのSIZE1は品切れ状態となっております。入荷次第、お知らせが必要な方は、LINEよりお問合せを頂くか、shop@mocmmxw.com までご連絡頂きますようお願い申し上げます。
RECOMMENDS
-
MORE
耳に突き刺さる音。久保田麻琴(2/2)
常にホンモノの音を追求してきた氏が考える「耳に突き刺さる音」は、創る側の真剣さと優しさの土台の上にあって、そもそも人の持つ根源的なスピリットに触れるというゴールが聴く方にも無意識の中にある。だからこそ心が鷲掴みにされる。 […]
-
MORE
人が生きた痕跡のある音。久保田麻琴(1/1)
人が生きている痕跡のある音。ライフスタイルの上に在って、エッジのある強い響き。そういったスピリットを拾い続ける久保田麻琴。氏の中にある国境を越えて残るリアルな音について語る。 ぶっとい音 私が今やってることは、英語圏にあ […]
-
MORE
久保田麻琴と夕焼け楽団 × mocgraph ロゴTシャツ
久保田麻琴が「mocgraph(モックグラフ)」に登場!「人が生きた痕跡のある音」「耳に突き刺さる音」全二回のインタビューが公開されます。公開に合わせ久保田麻琴と夕焼け楽団の1stアルバム『SUNSET GANG』から石 […]