何かを始める時に感じるスパークの様な初期騒動を忘れなければ大切なものを見失わない。トミー・ゲレロの哲学(1/2)

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INTERVIEWS:
トミー・ゲレロ/Tommy Guerrero/Skateboarder/Musician


Fuck You精神とD.I.Y.精神とは、「自分が絶対だと思う価値を譲らず、自分で動く」という心持ち。いま子供達は知識を詰め込む選択肢しか与えられず創造力を養う時間がない。友と自由に遊び、好奇心を育み、挑戦する勇気や責任感を養うことは鳴りを潜めてしまった。だけどいま必要なのは「ゆとり」ではなく「野性」という生まれたままの本能むき出し100%ピュアな荒々しい処方箋。トミー・ゲレロという治療法がここにある。

僕の父親側の家系にはミュージシャンがたくさんいるけど、僕と兄は父や親族とは一緒に育っていない。だから父から音楽の影響を受けたというよりも、もっともっと遺伝的なものだと思う。

僕の父親側の家系にはミュージシャンがたくさんいるけど、僕と兄は父や親族とは一緒に育っていない。だから父から音楽の影響を受けたというよりも、もっともっと遺伝的なものだと思う。祖父はジャズギタープレーヤーでありバイオリニストでもあったし、祖母はヴォーカリストで二人は一緒にバンドをプレイしていた。それに四人の息子はすべてミュージシャンだった。つまり僕の父はミュージシャンで、3人の叔父もすべてミュージシャンという事になる。父はとにかく色々な楽器を扱えたし、サンフランシスコのフィルモアでよく演奏をしていたよ、まさにオールドジャズの時代さ。そこで多くの素晴らしいジャズプレイヤーと時間を共有していた。ジミー・スミスのようなプレイヤーとも自然に付き合っていたと言っていたよ。でも僕はこのルーツについて長い間知らなかった。

僕が楽器を始めたのは12歳か13歳の頃だと思う。3歳半年上の兄は最初ドラムを演奏していて、そのパンクロックバンドで僕はボーカルとして歌っていた。でもそのあと直ぐにベースを弾き始めたから、基本的にはベースプレイヤーとして成長した。ミュージシャンだった父と一緒に育っていなくても、必然的に音楽の遺伝子を受け継いでいると感じる。僕たちが誰かってことは遺伝子的に避けられない。幸運にも僕と兄は音楽という遺伝子を受け継いで、兄は僕とは違うロックンロールスタイルの素晴らしいギタープレイヤーだ。自分で最初に組んだバンドはジェリーズ・キッズ、そのあとにリベンジ、フリービアー。僕らは物心ついた頃から演奏しながら育ったわけだ。フリービアーのラストライブは1984年にスーサイダル・テンデンシーズアングリー・サモアンズと一緒だった。

スケートボーダーはパンカーズのようだった。その2つの間には確かな共通点と理解があったんだ。メインストリーム社会に対してのD.I.Y.アティチュードと‘Fuck You’アティチュードという同じ魂が共存していた。

影響を受けたアーティストは1人には絞れない、なぜなら僕は常に演奏スタイルを変えてきたんだ。僕の音楽的ルーツと言えばパンク・ロックから始まって・・・最初から振り返ってみよう(笑聲)。パンクとの出会いは、1978年か79年あたりにラモーンズを見た時だ。僕も兄も友達も完全にノックアウトだった、兎にも角にもパンク・ロックをプレイすることに無我夢中で傾倒していった。その少し前にセックス・ピストルズがサンフランシスコに来た時、彼らをニュースで目撃した時もそうだった。彼らは全てに反抗していて、それは全てに対する大きな‘Fuck You’だった。それは小さなスケートボーダーにとって、スケートボードとパンクは同じところから生まれたことを意味していた。メインストリーム社会に対してのD.I.Y.アティチュードと‘Fuck You’アティチュードという同じ魂が共存していた。僕らのようなスケーターにとって、メインストリームは全く価値のないものだったからね。

パンク・ロックはスケートと同じようにシーンに登場してきた。みんな過激なほどに影響を受けた。楽器をどうやってプレイするかを学んでないような人たちが音楽をプレイし始めたのさ!でもそれは必然だったはずだ。パンクはヨーロッパやUKから入ってきてみんなが感じていたメッセージや行き場のない怒り、この瞬間に起こっていることの感情を音楽にのせて伝えた。そしてこのムーブメントはアメリカ中に反響していった。同時に沢山の事が起こっていたし80年代は確かにパワーがあった。事実僕らは特定のタイプの人とリアルに共鳴し、スケートボーダーはパンカーズのようだった。その2つの間には確かな共通点と理解があったんだ。

同時に80年代初頭にヒップホップが登場した時、僕は物凄く衝撃を受けた。何かをクリエイトしたり音楽を作ったりするにも何もないところから創造するところがパンク・ロックに似ていたんだ。

パンクは僕のD.I.Y.精神の大きな部分を形成している。勿論それはバンドで演奏したり、音楽を作ることにも通じている。楽器をピックアップしていじり始めたその瞬間から何時間もベースを弾くようになってミュージシャンとして成長していった。パンク・ロックは進歩じゃなくてメッセージであり、それを伝えるための手段なんだ。僕はメッセージを伝えるミュージシャンとして成長したかったし、チャレンジしたいと考えていて色々なタイプの音楽を勉強したんだ。

まずメタルを深掘りしてみた。当時メタルはブラック・サバスモーターヘッドなんかの色んなタイプのロックバンドがいたし、僕はラッシュゲディー・リーのビッグファンで、あのクレイジーなベースを弾けるように毎日練習したよ(笑聲)。色んなジャンルの音楽を聴いた。パンクやニューウェイブ、ザ・キュアージョイ・ディヴィジョンそしてニュー・オーダー。同時に80年代初頭にヒップホップが登場した時、僕は物凄く衝撃を受けた。何かをクリエイトしたり音楽を作ったりするにも何もないところから創造するところがパンク・ロックに似ていたんだ。ターンテーブルを使って数枚のレコードからサンプリングした数秒の音からその瞬間を作り、ビートを巧みに処理して異なる音楽の要素を作った。それはとても画期的なものだった。ラップはメッセージを伝える手段でパンク・ロックも一緒だった。間違いなくパンク・ロックとヒップホップが僕のセンスを形成したと思う。僕はベースプレイヤーだから、さらにリズムに傾倒していった。全てのビートはヒップホップやもっとファンク的なものをルーツとして僕を引き寄せた。

僕は異なる素材をクラッシュさせて組み合わせて、まったく違うタイプの音楽を作り出すことが好きなんだ。

僕は異なる素材をクラッシュさせて組み合わせて、まったく違うタイプの音楽を作り出すことが好きなんだ。僕は1991年頃からサンプラーや色々な機材を使ってビートを作り始めた。自分で弾いたベースやギターをダビングしたりサンプリングしたり、ループさせたりね。ビートをラッパーのために作ったりもしたけど、あまりうまく行かなかった。だから作ったインストゥルメンタルビートやギターサウンドをたくさんお蔵入りで持っていた。ある時、少しギターをオーバー・ダビングしてみると、そのビートが偶然にも凄く進化したんだ!

僕が育ったカリフォルニアには、偉大なアーティストがたくさんいたし、アーリーなものから、ロックンロールにセックスピストルズやUK音楽、スティッフリトルフィンガーズバズコックスよりももっと前のパンクなんかも。パンクからメタルに入った後で初期ヒップホップに入り込んでいった。僕にとっての一枚といえばエリックB.&ラキムだ、それは信じられない様な、何か・・・ラキムのフロウ、スタイル、ビートや全てが今までにないスタイリッシュな感じだった。それまでにラップが彩ってきたものとは違う新しいラップの方法だった。カーティス・ブロウよりもっと精神的で思慮深いものだった。エリックB.&ラキム、パブリック・エナミーKRS・ワンギャング・スター、そしてア・トライブ・コールド・クエストに入り、彼らがサンプリングしたものとコラージュのようなビートへのアプローチ。それらオーディオコラージュとして、色んなジャンルの要素から新しいタイプの音楽を作り出した。

みんなが感情を感じることが出来るのは、それをしている人たちが、自分たちのしている事を心から愛しているから感じることが出来る。つまりそれが正直なところから来ていなければすぐにバレてしまう。

僕はそれと同じ方法でアプローチしたんだ。お陰で色んなジャズを聴くようになったし、それがヒップホップだった。グラント・グリーンからギタープレイの影響も受けるし、もちろんサンタナからはとても影響を受けた。僕に影響を与えてくれる音楽は、時間の経過とともに変化していって、今はガボール・ザボエチオ・ジャズ、そしてムラトゥ・アスタトゥケなんかだ。だから本当の意味でのマッシュアップスタイルだ。それは感情的な場所からくるもので言葉にするのが難しいけど、僕が手にする膨大な情報の中から様々な形でアウトプットされているよ。

意図的なものなのか確かではないけど、情報を受け取ってそれをインプット/アウトプットする感じだ。自分自身が導管のようなもので、その中を情報やモノが移動している、自分自身を乗り物として使っているような感覚。それらの情報には共通要素があると思っている。それは僕が作る音楽は正直でないといけないし、正直なところから来たものでなければいけないということさ。みんなが感情を感じることが出来るのは、それをしている人たちが、自分たちのしている事を心から愛しているから感じることが出来る。つまりそれが正直なところから来ていなければすぐにバレてしまう。

アメリカの音楽産業で求められているのはヴォーカルがいて、わかりやすくメッセージを頭の中に吹き込んでくれるよう音楽なんだ。 “Ohベイビー、愛してるよ・・・”こんな感じばかりでしょ?陳腐でまったく面白くない歌詞ばかりさ。

正直な所、僕はアメリカの音楽産業の中には存在すらしていないと思っている。アメリカのインストゥルメンタル・ミュージックは完全に見落とされている。みんなどうしていいのか分からないのさ、アメリカの音楽産業で求められているのはヴォーカルがいて、わかりやすくメッセージを頭の中に吹き込んでくれるよう音楽なんだ。 “Ohベイビー、愛してるよ・・・”こんな感じばかりでしょ?陳腐でまったく面白くない歌詞ばかりさ。そういった人たちは、自分の分かる範囲で曲を理解したいだけだと思う。インストゥルメンタルの音楽といえば、多くの人がジャズだと言うだろ?でもそれはジャズじゃない。そういう人たちは、音楽を受け入れる能力を持っていないのかもしれない。

僕の考える音楽は、相手に無理やりメッセージを伝えるものではなくて、聴く事でもっと気持ちを自由に解放してくれるものなんだ。僕はインストゥルメンタル・ミュージックを愛していて、他人のアイデアを束縛しない。最近の曲の99%の歌詞がひどい、意味もなく深みもない、そういったポイントのない曲に僕は何の魅力も感じない。だから、アメリカで僕の音楽は存在さえしていない。僕はもっとクリエイティブなコミュニテイに存在している。アーティストやスケーター、サーファー、作家、思想家たちには評価されるけど、アメリカの音楽業界からは全く評価されていないよ。僕のようなアーティストはアメリカでお金を稼ぐことは出来ないから常にツアーをしている。ただそれだけの事さ。

みんなお金を稼ぐためだけにそこにいて去っていく。破壊への道を進んでいることを誰も気にしない。残念だけどサンフランシスコは全く変わってしまった。なるようにそうなってしまった。

周りのみんなが言うんだ「君の周囲そのものが製品なんだ。」その通りだと思う。僕はサンフランシスコの急進的な空気の中で育ったから、自分が望めば何でも出来るというFuck You精神が間違いなく僕の中に存在している。僕に道を示してくれたサンフランシスコの人たちや音楽、そしてそのムーブメントが大好きなんだ。僕の母は、とてもリベラルな人だったし家族の誰もが凄く自由でとても寛容的で情熱的であり、他人に対しても感情的だった。そういった環境の中で育つことは、その後どんな人間になるかって事にとても大きな役割を果たしていたはずだ。間違いなくサンフランシスコで育った事が僕の人格に影響を与えたと思うし、僕のやり方にも間違いなく影響を与えていると思う。

残念なことに今のサンフランシスコは僕が育った頃と比べると完全に変わってしまった。ハイテク産業の流入が原因だ。サンフランシスコはゴールドラッシュの時代に出来上がった歴史があるけど、今は第二のゴールドラッシュで誰もがサンフランシスコに来て権利を主張している。みんな金儲けのためにきている。サンフランシスコの財産になったり、そこに住む人たちにポジティブな影響があるかは関係ない。みんなお金を稼ぐためだけにそこにいて去っていく。破壊への道を進んでいることを誰も気にしない。残念だけどサンフランシスコは全く変わってしまった。なるようにそうなってしまった。

僕にとってのインストゥルメンタル・ミュージックや音楽は、コミュニケーション・ツールのひとつなんだ。音楽の美しさに境界線はないし、その素晴らしさに言語表現の制限はない。

みんなが僕の音楽や、している事に誠実に耳を傾けてくれる事を願っている。そうしてくれる事が、音楽に対するアプローチ方法とレコーディングのやり方に閃めきを与えてくれる。僕の音楽はレコーディングの瞬間に僕が感じたピュアな気持ちそのものなんだ。僕はデモを録らないし、スクラッチトラックといった事も一切しない。そのままレコーディングをする。何かがスパークした、その瞬間のインスピレーションをそのまま録音して届けることを大事にしている。みんなが僕の音楽を聴いた時、その中に誠実さと正直さを聴いてくれることを願っている。伝えようとする事を意識するのではなくて、それは僕が感じているその瞬間の感情なんだ。僕は音楽をやる理由を常に理解しようとしている。僕がしていること、なぜ音楽を奏でているか、何を伝えようとしているのか、そしてそこから何を得ようとしているのかを。僕にとってのインストゥルメンタル・ミュージックや音楽は、コミュニケーション・ツールのひとつなんだ。音楽の美しさに境界線はないし、その素晴らしさに言語表現の制限はない。だから僕は世界中の人々と共鳴することが出来るし、それが僕にとって音楽をやる理由なんだ。

僕は時にセロニアス・モンクの言葉を思い出すんだ「最初のテイクがすべてだ。それ以降はどうでもよい。」彼の言ったことを僕は信じる。

僕が思うに何かをする時、それが何であれ何度も繰り返せば、もはやそれをすることの意味さえ失ってしまうはずだ。ロボットのように完璧になってしまったら、それをする理由さえ考えなくなってしまう。初期衝動は何だったのか?そのスパークは何だったのか?最初にこれがしたかった理由が何だったのか?一万回も同じ事を言い続ければ意図を失う。何度もまったく同じことを繰り返しているから、人生の残りが少なくなっている事にさえ気が付かないで、死ぬまで同じ地面をずっと叩き続けるだけさ。そこに探究心や自発性は皆無だ。そういった心が一切ない、あらゆる動き、あらゆる瞬間、すべての記憶、全てのアクションが完全にリハーサルだ。そこに驚きはないし、閃きや感動的なことは何もない。だから録音して伝えることは不可能なんだ。感情を伝えるコンテンツは、長くやり続けることで大事な部分が取り除かれてしまう。そこに意思がなければ、録音されたものは何回聴いてもフラットなんだ。

勿論、それが出来るアーティストはたくさんいる。全てがそうだと言っているわけじゃない。例外もあるし、誤解しないで欲しい。僕は時にセロニアス・モンクの言葉を思い出すんだ「最初のテイクがすべてだ。それ以降はどうでもよい。」彼の言ったことを僕は信じる。だから何度も繰り返す事は、音楽の感情面を減少させるだけだと思う。こういった理由から僕が商業的な音楽業界に存在することは不可能なんだ。例えば僕のレコーディングに対する音楽へのアプローチは「ローファイ」と呼ばれるもので、それは全く生産的じゃないし、シンプルじゃない。それはとても純粋な形で生のままなんだ。僕は小さなスタジオを持っていて、ほとんどをホームレコーディングで行っている。レコーディングの大部分を、依然としてローファイをもとに考えている。だから米国のメインストリームのラジオでは決してプレイされない。必ずしもローファイである必要はないけれど、僕には理解が出来ない。365日のうち300日間、まったく同じ演奏をして、同じことを歌って、同じ動きをして、毎日まったく同じ人々と同じことをすることがね。僕にとっては毎日同じものを食べるようなことで、退屈でしかたがない。バラエティは人生のスパイスだよ。そう思うでしょ?新しい経験をミックスアップして、成長して存在を確立させるんだ。人間は完璧じゃない。人間は不完全で、僕たちは欠陥だらけさ。だから音楽には瞬間がある。至らない時があるけど、それでOKだ。それが人間らしい事だからね。

僕は忠実性も品質も気にしない。重要なことはその中身。携帯で撮ったフィルムのようなものでも、そこに中身があれば、僕はまったく気にしない。

僕は、音楽をプレイすることを本当に愛している。僕にとってスケートをすることに似ていて治癒的なんだ。もっと頻繁にバンドでプレイ出来ると良いけど、みんな忙しすぎるんだ。ライブ、仕事、家族、あらゆるものでスケジュールが詰まっている。頻繁に実現させることは難しいから常に自分自身に頼る必要がある。僕のDIY精神はここからスタートしている。自分自身で音楽を作ることも、80年代にフリービアーが解散したから始めたことなんだ。19歳で初めて給料をもらった時、ドラムマシンと4トラックを買ったんだ。ひとり音楽をプレイして録音し続けたよ、そうするしかなかった。だけど僕も忙しくなってバンドにはいられなくなった、スケートで世界中を旅していたからね。それでも僕には楽曲制作やレコーディングをして、音楽をプレイし続けることが必要だった。何故だか分からないけれど、小さなメロディーやちょっとしたアイディアが湧き上がってくるそのプロセスがたまらなく楽しいんだ。そのインスピレーションが出てくるその瞬間、この気持を伝える必要性を感じていた。楽曲をつくることは本当に楽しいし、それこそ僕が音楽をやり続ける十分な理由なんだ。インスピレーションを受けた時に直ぐに録音できるように、いつも準備しているよ。僕は忠実性も品質も気にしない。重要なことはその中身。携帯で撮ったフィルムのようなものでも、そこに中身があれば、僕はまったく気にしない。

自信やアイデンティティーは子供の頃に培われる。トミー・ゲレロのクールな生き方から学ぶ(2/2)☞ 続く


Name: Tommy Guerrero
DOB: 1966
POB: San Francisco, California, United States
Occupation: Skateboarder / Musician
http://www.tommyguerrero.com
https://www.instagram.com/tommyguerrero/

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