板前40sパリコレへ。エロとは機転それが ’なるきよ流’ 吉田成清インタビュー(2/2)

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吉田成清/なるきよ/板前


「吉田!なんなんだよ今日のアレはよ、ふてくされるんじゃねぇ」ってね。ばってん俺にとってはよか母ちゃんやったね。

東京にはフェリー使ってバイクで来たとよ。だけん軽トラからラビットを積み込む時にたまたま撮った写真で、母ちゃんが電柱の脇で泣いとるとよ、涙流してから。いよいよ出発かと思った時にさ、岸からじーっとさブォーンっとね、まだ見えるとたい九州大陸が。うわーどうしよう帰りたいと思って、むちゃくちゃ泣いたばいね。フェリー乗って二日かかるって知らんけん、オナニーしまくったね(笑聲)。 東京ついた時は春よ、九段下の桜がドカンとね、もう爆風スランプたい。それで職に就いた禅料理のオヤっさんが剃っとるけん、おれもスキンヘッドにしようと思って。寂しいけん仕事終わって、毎日六本木に行きよった、そしたら広尾のところで毎日止められて。「お前、某宗教団体やろ」「ちゃいます」、「お前、某宗教団体やろ」「いや、ちゃいます」って毎日二回聞かれよった(笑聲)。 そのお店には色んなお酒が並んどった勉強させてもらったよ、お客様も錚々たる面子ばい。 菊姫っていう豊臣秀吉が愛したお酒とかね。酒も知らんけん、お母ちゃんから毎晩説教やったね、嫌になるくらい。「吉田!なんなんだよ今日のアレはよ、ふてくされるんじゃねぇ」ってね。ばってん俺にとってはよか母ちゃんやったね。オヤっさんの隣で仕事やったけん、その分仕事は覚えるのは楽しいし早かった。厳しかったけど、本当に感謝しとるよ。

社長が帰ってくる時には、お花活けたり、壺も屏風も変えてね。四季の花もそこで覚えていった、そういうのを愛しとった人やけん。

そしてステージは渋谷、魚山亭やね。ここの社長さんに出会えたのはひとつデカかった。やっぱり社長が帰ってくる時には、お花活けとったり、いらっしゃる二十日間は朝食作らせてもらったり。そういうのを愛しとった人やけん、壺も屏風も変えて、四季の花もそこで覚えていった。厳しくても、同僚もおるし、カバーしてくれるお客様もおったけんね。今は本当厳しい、難しい、与えないかんし、考えないかん、経営もしないかん。若いうちはこなしてれば良かったけんね。週末が待ち遠しかった、KISS、APOLLO、BLUE、MIX、Yellowがあってね。むっちゃくちゃ人おったね、青山黄金時代よ。ミラクルよ。そこで色んなアーティストの方に出会うわけ。「お前、どこの服屋だよ?」「いや板前です」「板前40sかよ!」ってね。そっからの付き合いでパリコレの料理を任せて頂いたりね。夜しこたま遊んで、朝からまた築地よ。みんな平等なもんて時間やん?どげん使うかやんね。

ロシア・アヴァンギャルドなんか最高よ。サーカスの服装とかさ、20年代とか半端ないよね。格好良い。

僕はいかんせん風俗が好きやけんね。音楽であったり、服であったりね、好きやけんね。BRIAN CLOTHING(現・RONDE)の弥永さん、あの人が全てを教えてくれて変えてくれた親父のひとりやね。学生時代には、バウハウスから映画から、アートから何から、他の色んな全部よ。ヴィンテージだけじゃなくて、そいうのを勉強せなつまらんってね。久留米のおやっさんたちは、知恵袋やったね、常に勉強やった。ロシア・アヴァンギャルドなんか、最高よ。サーカスの服装とかさ、20年代とか半端ないよね。タマラ・ド・レンピッカの『緑色のブガッティに乗るタマラ((Tamara in the Green Bugatti) )』あれ観て当時感動したね。彼の洋書読んだりして、トレンチコートとか古いまんま出るけんね、ゲージ編みの高いニットとか。映画やレコジャケ、そういうモノからしか、フォーティズ、サーティーズの情報がなかった時代よ。とにかく情報を得るのが大変やった。俺、正装はバッキバキのフォーティーズやけんね。雅叙園でカルーセル麻紀に会った時に「ご無沙汰しておりますわよね」って嘘やろもって、カルーセル麻紀って俺知らんばいって。喫煙所で「ご無沙汰しております」「こんちわ」ってね、えらい嬉しかった。やっぱちーと異端児に見えるとやろ。だから弥永さんに「お前、今日決まっとるやないか」って言われた時はね、がば嬉しかったね。

※BRIAN CLOTHING
ヴィンテージ衣料・アクセサリー・雑貨(1930~60年代)を中心に、「リアル マッコイズ」「スタイル クラフト(現エヴィス)」 「フェローズ」「フルカウント」「サズー」「ドレーパーズ ベンチ」「ブライアン・オリジナル ウェア」などを取り扱ったショップ(現・RONDE)。

「成清くん、若いのに勿体ないね、60年代も素敵なんだよ」って。そしたら、、、。エロいって、、、。ラテンミュージック、、、。何て不良な音楽なんだって。かっこええ社長、たまらんばいって。

毎晩スイング聴きよった。Scatman Crothers、この一枚が俺の青春やったね。黒人カルチャーね、魅せたり、楽しませたりとかね、色目があってとか。ヴィンテージも黒っぽく着た方がカッコ良いんじゃないかって。EAST COAST BLUESのジャケットとかも囚人パンツにシャンブレーやしね。Leo Watsonがナッソーベスト着とったい、襟が長かったのかとかイメージたい。37年、46年、フォーティーズってこんなんだって、ジャケットから勉強する事がただただ大変やった。そこで枠が出来たら中村とうようさんの「大衆音楽の真実」よ。54年モカンボセッション、黒いよ、日本人も捨てたもんやない。ある時、エルスールの社長さんが「成清くん、若いのに勿体ないね、60年代も素敵なんだよ」って。頭になかったけん、サーティーズ、サーティーズってね、デニムならXXだけとか。もうちょっと幅広く聴いてみなって。そしたら、、、。エロいって、、、。ラテンミュージック、、、。何て不良な音楽なんだって。「かっこええ社長、たまらんばい」って。音楽はやっぱいいね、エルスールレコード様に感謝やね。入りやすかったのが007のファーストたい、「Dr.No」観とったからね、カリプソに入るよね。Ralph Roblesこの一枚不良だよね、なんでこんな独創的な音楽が出来るんだってね。

※Scatman Crothers
アメリカ合衆国のミュージシャン・俳優・歌手・ダンサー・声優。 キャリアをスタートさせた時代は禁酒法の法令下にあり、違法酒場などで活動をしていた。 かの有名なアル・カポネの前でも演奏したことがある。 『カッコーの巣の上で』『シャイニング』など俳優としても活躍した。

※EAST COAST BLUES
Yazooレーベルによる、1926-1935のEast CoastのBluesを集めたレコード。

※Leo Watson
アメリカ合衆国のミュージシャン。ジャズボーカリスト、ドラマー、トロンボーン奏者。 独特のスキャットで人気を博し、Gene Krupa楽団や、Artie Shaw楽団のメンバーとしても活躍した。

※中村とうよう
日本の音楽評論家、編集者。株式会社ミュージック・マガジンの元・取締役会長、代表取締役。 ネイテイブ・ラテン音楽、アフリカン音楽、ジャズ、特に黒人音楽の原点であるブルースの専門家。

※THE HISTORIC MOCAMBO SESSION’54
1954年7月27日から翌日にかけて、横浜・伊勢佐木町のジャズ・クラブ『モカンボクラブ』で行われたジャムセッションがモカンボ・セッション。 宮沢昭(ts) 渡辺貞夫(as) 渡辺明(as) 守安祥太郎(p) 鈴木寿夫(b) 五十嵐武要(ds)を中心に、秋吉敏子(p) 海老原啓一郎(as) 山屋清(as) 与田輝夫(ts) 上田剛(b)などのほか、 当時駐留軍兵士として東京にいたアメリカのトップ・ジャズ・ピアニストの一人、ハンプトン・ホーズも加わっていた伝説の一夜。

※Ralph Robles
サルサ史に強烈な足跡を残したトラペット奏者。 ニヒルで男臭いバリオ・ラテンならではのセンスと、重厚なブラス・セクションが牽引する強烈なサウンドは、まさにパーマネント。

「働かしてくれ」っていう子ばっかり、よかよって、キツイ時でも入れる。自分の給料減らせば良いだけやけん、嬉しいやん、働きたいって。

「働かしてくれ」っていう子ばっかり、良かよって、キツイ時でも入れる。自分の給料減らせば良いだけやけん、嬉しいやん、働きたいって。だから皆んな今でも付き合いがあるし、そこそこ中堅で他所にいってもやりよるし。やっぱり常にファションが好きやったり、音楽が好きやったり、色気がある子やし、その子たちのイベントでもたまにレコード回させてもらっとるしね。だからそこでまた引き合うなら、その子たちに店作ってあげたいくらいの気持ちは持っとるけどね。何年か前にも喫茶店やろうと思って、ニューヨークに飛ばしとる子もおったけど、見てこいって。 ドアを見てこいって、食べんでもいいけん、美味しないからって。しかしゼロから立ち上がってくるもの、入り口からもらうもの、フランスなんて凄いよね。しんどくても「ボンジュールボンジュール」ってギャルソンが外でね。やっぱやった分、夢みさせたいやん、自分もやったし。自分で裸になった時に弱さと強さと向き合ってね、根から張って、彼らの次世代のカルチャーを作ってもらってね。どんどんそういう子たちが出てきたら、日本も捨てたもんじゃねーじゃんてね。ナイトシーンが潤うと思う、今そういうシーンがないもん。 例えばクラブでも、サンダルで来んじゃねーよって、ジャージで来るんじゃねーよって、キメてこいよって。あの時は、週末何着るか迷ったやろ?って。だからこそ勝負の前に気合を入れていく、そんな場所でありたいね。

ポーターがおって、鍵預けて車がどんどん地下へ地下へ入っていって、レストランにビッグバンドが入って、そしてバンドの下に厨房があって、チャカチャカしながらも「お前今日のってんな!」って。そういう店やりたい、凄く格好良いね、そんな夜をつくりたい。

エロいことしたいね。 エロってやっぱ、目やないかな、どこに機転をおくかっていうのがエロさやないかな。ブラボーチキンもね、ゆくゆくは男のコンビニにしたくてね。ナチュラルなるきよとか(笑聲)。 ちゃんとフードセンターじゃないけど、ちゃんと産地のものがあって、僕は逆に消費者の人が潤うんじゃなくて、 生産者の人にもう少し100円でも乗せなって、美味しいものは美味しいって、自信持って欲しい、僕たちが加工してあげてね。例えば筑前煮なら、切り出して、最後は奥さんのアソコでってぐらいまでに仕上げてとかね(笑聲)。 魚もおろしてから、火の加減でここで炊き合わせしてあげてとか、そういう男のフードセンターしたいですけどね。なかなかそれも色気がいる、喫茶店もしたい、やりたい事は凄くたくさんある。やっぱり背景やね、人がこうやって遊びに来て黒と金の中に入っていってね。ポーターがおって、鍵預けてどんどん車が地下へ地下へ入っていって、レストランにビッグバンドが入って、 そしてバンドの下に厨房があって、チャカチャカしながらも「お前今日のってんな!」っつって。バンドと厨房がやりあってるっていうね、お前がリフやってる時、こっちはメインディッシュだってね。そういう店やりたい、凄く格好良いね、そんな夜をつくりたい。もう寝ていかんねってホテルもあってね、なんぼ銭があっても足りんねー(笑聲)。

や・ら・せ・ろ
店主なるきよ

国籍を問わないアーティストや業界人たちが夜な夜な集い舌鼓を打つ。なぜ’なるきよ’なのか。吉田成清インタビュー(1/2)☞戻る

PROFILE

東京青山の裏路地に居酒屋「なるきよ」はある。 ホームページすら持たないこのお店に集まる国籍を問わない様々なアーティストや業界人は多士済々である。 板前であり店主の吉田成清氏の背景には、30’sカルチャー、音楽、映画からロシア・アヴァンギャルドと洽覧深識。 日本の風土、和の心、そしてアートを表現した料理たちは、驚くほどに美味い。 食べることを超える経験と、人生についてまでを考えさせられる、それが「なるきよ」だ。

Name: 吉田成清
DOB: 1972
POB: 福岡, 日本
Occupation: 板前

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