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MAFT SAI

April 12, 2019

著作権に関しては時代背景やそれぞれのバックストーリーを調べて一体何が起きていたのか?を把握する必要があるのです。特にタイではこうした情報を獲得するロケーションやデータも存在しませんから直接アーティストや様々な関連人物に会いインタビューをして探すしか方法が無いのです。

ライセンスについては他の分野と比べても特に複雑な構造をもっている。特に著作権は金銭的な問題がありますからより一層です。やはり誰もが著作権を持ちたがるわけです。金銭的メリットがあれば皆それを奪い合ったりもしますよね。人によって自分が著作権を持っていると言って本当は持ってなかったり、持っているのに持っていないと誤魔化したり、本当に様々なケースがあります。著作権のライセンスは見分けが難しい事柄なので自分で権利元を探し情報を得なければいけない分野なのです。昔は今よりももっと酷いトリックがあった様です。例えば、レーベルがアーティストに対してブランクの契約書にサインを書かせたりしました、つまり著作権が欲しかったわけです。中には同時進行で4つのレーベルに著作権を売り、一斉にお金を受け取りずらかるアーティストもいたみたいだ。こうしたトリックが隠されていたりするので一体誰が所持しているのかは本当に用心深く確認する必要がある。

アーティスト、作家、プロデューサーは容易にわかりますが、権利は一体誰が持っているのか?そのプロデューサーなのかアーティストなのかはたまたレーベルが持っているのか。要約、誰が所有者なのかが分かっても既にどこかへ売られてしまっている場合もあります。もし売られていた場合どこへどの様に売られたのか。例えばBuy offなのかBuy outなのかリリースなのか?または10年〜20年の一定契約期間での譲渡など。正しい権利を正しい相手に支払える様に隈なく調べて宿題をする必要があります。

実の所タイでは殆どプロデューサーが楽曲を作っています。自身で曲を書くアーティストは少ないのです。多くの場合、師であるプロデューサーがアーティストに楽曲を提供します。そしてアーティストはシンプルに作品を歌い表現するわけです。そしてレーベルが曲を世の中に送り出します。またリリースによりレーベルが全ての費用を持つと同時に著作権も保持するパターンがあります。このような取決めもアーティストや楽曲、レーベルなど多種多様です。例えば円盤を見るとわかりますが表記では誰々作と書いてありますが、ただ単にプロモート目的で実際には昔とても売れた有名な歌手の名前を使っている場合もあります。つまり多く売る為に表記を変えていて実際にその人が作った作品では無い場合もあるのです。

時代背景やそれぞれのバックストーリーを調べて一体何が起きていたのか?を把握する必要があるのです。特にタイではこうした情報を獲得するロケーションやデータも存在しませんから直接アーティストや様々な関連人物に会いインタビューをして探すしか方法が無いのです。

’70年代後半から’80年代初期の頃にタイの音楽シーンは大きな転換期を迎えます。近年の音楽業界は一層ビジネス的になってしまいました。こういった時代背景により新しい作品や風変わりな作品も生まれなくなってしまったのです。

タイ音楽は細分化されています。ルークトゥンやモーラムの曲、南部の曲、更にスンタラーポーンやルーククルンのジャンルまでもが、昔はそれぞれ専門のレーベルやプロデューサーがいてそれぞれのスペシャライズ盤を作っていました。才能溢れるアーティストは様々なジャンルやレーベルをまたいでコラボ作品を生み出しました。当時は今よりも本当に実力重視でした。簡単に出演許可が出てステージに上がれる訳ではありませんでした。演奏も然りです。表舞台に出ることは本当に狭き門だったのです。

昔の歌い手は、ルークトゥンやモーラム、タルンといった異なった地方の楽曲であっても全て歌うことができました。例えば*Waipod Phetsuphan(ワイポット・ペンスバン)という歌手がいます。彼は全ジャンルの歌が歌えたのです。北部ジャンルの楽曲であれば北部地方の言葉「イサーン語」で歌う。南部地方であれば南部の言葉で歌えた。何故なら彼らは全国をツアーで回る必要があったので各地方のローカル言語を話し、歌う必要があったのです。

例えばダオバンドンが*Thepphabut Satirodchomphu(テープパブット・サティロードチョムプー)のバンドに加入する際にも3〜4年の下積み時代があった訳です。道具運びや裏方として働く等の下積みを経てようやく表舞台に立つ事を許されたのです。より実力が試された。しかし、’70年代後半から’80年代初期の頃にタイの音楽シーンは大きな転換期を迎えます。近年の音楽業界は一層ビジネス的になってしまいました。数年前までは全ての楽曲が生バンドの演奏によって創られていました。スタジオで人間が演奏し録音していたわけです。それが転換期を迎えクオリティーがどんどん低くなった。どんな曲が売れそうかと考えながら作ろうとするわけです。1つのアルバムの中に歌詞の内容だけを変えて似通った曲ばかりが収録されるようになりました。ビジネス的な観点から考察するとタイ人は音よりも歌詞にフォーカスして音楽を聴く国民性だからです。こういった時代背景により新しい作品や風変わりな作品も生まれなくなってしまったのです。

*Waipod Phetsuphan(ワイポット・ペンスバン):
1942年生。スパンブリー県出身の男性歌手。仏教音楽レーの名手で「レー音楽の王様」と呼ばれる。ヴィエンチャンから来たラーオ系タイ人のため、ラオスの民謡を積極的に取り入れた。

*Thepphabut Satirodchomphu(テープパブット・サティロードチョムプー):
1943年生。ノンカーイ県出身の音楽プロデューサー。イサーン音楽会の黒幕として暗躍。70年代半ばあまりの影響力の大きさから軍に追われ国外に逃亡。フランス・ベトナム系タイ人。

時代に翻弄されながらタイ音楽は変遷している。世界的に行われているビジネスゲームそのままというのが現在のタイの音楽シーンなのです。

‘90年代に入ってからは完全に売れ線の曲ばかりが生産される時代に入りました。クリエイティビティーなことや創造力が減ってしまった。「何が売れるか?」が最重要になったのです。例えば笑えるものが売れると分かればルークトゥンやモーラムもエンターテイメント寄りでコメディーっぽいのが量産されます。コメディーっぽさが強調されればクオリティーも下がります。時代に翻弄されながら生まれた曲調の楽曲達です。以降、モーラムもルークトゥンも聴いて笑える様な作品が多く、小馬鹿にされる様なジャンルのイメージがついてしまいました。以前はポピュラーカルチャーでありシリアスな内容の楽曲も沢山存在したのです。

特にコマーシャルシーンおいてはJ-POPやK-POP等あらゆる要素が入って来ています。主要な音楽レーベルだと*グラミーや*RSです。最前線をランしているのは数レーベルしかありません。またリリースをする事をゴールに専門的に勉強が出来るインスティチュートも現れました。そこで学んでアーティストになる人がいたりもします。要は実力よりもルックスが良かったり顔が良いという要素だけで引っ張られて歌やダンスのレッスンを受けさせられてデビューします。まぁ世界的に行われているビジネスゲームそのままというのがタイの音楽シーンです。

*GMM Grammy:
1983年設立。タイ王国バンコクを拠点に置く最大手メディア・コングロマリット。エンターテインメント企業。タイのエンターテイメント事業の70%のシェアを誇る。音楽ビジネスに於いては、コンサートプロダクション、アーティストマネージメント、映画及びテレビのプロダクション、パブリッシングも含む。

*RS Public Company Limited:
1973年設立のタイ大手エンターテインメント企業。国内においてコンテンツプロバイダーかつメディアサービスのリーディングカンパニーである。

バンドのメイン音楽はインストゥルメンタルそのものにしようと。そうする事により楽器はメインボーカルの声を避けて演奏する必要がなく自由な演奏が出来ます。音で前衛的な実験出来る様になったのです。これがThe Paradise Bangkok Molam International Bandなのです。

パラダイス・バンコクを主催した事がバンド結成のキッカケです。ジャンルはモーラムやルークトゥン、他にも世界中の音楽を混ぜています。アフリカ〜中東〜南アジアまで様々な土地の音楽をかける音楽イベントです。イベントを開催するにつれDJプレイだけではなくライヴ演奏もイベントに追加したいと考えたのです。大御所アーティストをゲストで呼んで歌ってもらうだけではなくオリジナルの生バンドが欲しいなと。最初はダオ・バンドンやサックサイアム・ペッチョンプーらに連絡を取って何とかゲストで出演してもらうようオーガナイズしていました。彼らの殆どは既に30年〜40年も現場を離れて引退したアーティストでした。その為、メンバーを探したり呼び戻したりイベントにゲストとして呼ぶのも大変な作業でした。

私が当時から常に考えていたのはパラダイス・バンコクのベースとなる箱バンドを作る事です。今後、様々なヴォーカリストをゲストに呼ぶ予定がありましたのでバックバンドに困らないように必要性を感じていたのです。バンドメンバーが集まり練習を重ねる毎にとても良い雰囲気のインストゥルメンタル・ミュージック・グループに成長していきました。ボーカリストを迎えようとしていたバッグバンド以上に様々な可能性が出てきました。そこでプロジェクトの方向性を変えて行きました。バンドのメイン音楽はインストゥルメンタルそのものにしようと。時々ボーカリスト等のゲストを呼び歌ってもらうという形態になったのです。すると結果的にも良い影響がでてきました。例えば楽器はメインボーカルの声を避けて演奏する必要がなくなり色々と自由な演奏が利く、結果、音で前衛的な実験出来る様になったのです。これがパラダイスプロジェクトなのです。

最初のヨーロッパツアーは2013年でした。9つのイベント5カ国を回りました。とても良いフィードバックを得られました。当時アルバムも出しておらずYouTubeの映像しかなかったけれど(笑)

 

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