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JOICHIRO TATSUYOSHI

JOICHIRO TATSUYOSHI

July 26, 2018

Profile

Name:
辰吉丈一郎
DOB:
1970
POB:
岡山県, 日本
Occupation:
ボクサー

87年10月、全日本社会人選手権バンタム級優勝
90年9月、日本最速タイとなるプロ4戦目で日本バンタム級、王座獲得
91年9月、当時国内最速のプロ8戦目でWBC世界バンタム級、王座獲得
92年9月、WBC世界バンタム級王座統一戦、王座陥落
93年7月、WBC 暫定王座決定戦、王座獲得。同年、網膜剥離のため王座返上
94年12月、WBC世界バンタム級王座統一戦、王座陥落
96年3月、WBC世界バンタム級王座戦、敗北
97年4月、WBC世界バンタム級王座戦、敗北
97年11月、WBC世界バンタム級王座統一戦、王座獲得
98年12月、WBC世界バンタム級王座統一戦、王座陥落

2008年に国内ライセンスの資格を失効。08、09年にタイで2試合(1勝1敗)を行う。
プロ戦績20勝(14KO)7敗1分け。

*辰吉の「吉」の字は上のつくりの下の線が長く、丈一郎の「丈」の字は右上に「、」があるのが正式な表記です。

辰吉丈一郎ほどボクシングの枠を超えて人に愛され、人を熱狂させるボクサーはいない。傷つき落ち込み失敗しても、そこから這い上がった時に人は強くなれる。荒々しい人生という高波を恐れず信じた道を行く人間になりたい。「僕らのジョー」は今も変わらず闘い続けている、さあ僕らも頑張ろう。

わしは無難やなしにこれは誰も見ていないいうのに興味が湧くんよ。十人十色やと思う。比べられんもん。わしが他人を理解できんのと同じで、他人もわしの価値基準は分からん思う。

わしが生まれた岡山県児島はデニム、学ランの繊維の街やった。今では魚も瀬戸大橋のせいで潮の流れが変わってしまった。わしの近所も漁師町やったけど、漁師もだいぶ減ったしクワガタやカブトムシを獲っとった山の形は変わってしまった。三十年になるけど、わしはその時の記憶の方が生々しく残ってるからそれだけ変わったらショックよ。辰吉の先祖の墓もあるし、わしの父ちゃんの墓も岡山にあるから年に二回は必ず帰る。将来的に岡山に帰るつもりやけど今は帰るに帰れない。でも岡山はほんまええとこ。るみ(=妻・辰吉るみ)も子供らも気に入ってるもん。実家も無いけど、岡山の街並みが恋しいんよ。

うちらが産まれたのは1970年ベビーブームの終わり頃で子供が多かった。多いということはそれだけいろんな人間がおるということやろ?そうするといろんな変わったことをやる奴がおるやん、わしもそうやけどな(笑聲)。集中型もおれば万全な人間もおる。かと思えばちょこちょこ出す人間もおる、とにかくいろんな奴がおるんよ。小学校くらいでわしは普通やないというのがわかってきたし、わしは無難やなしにこれは誰も見ていないいうのに興味が湧くんよ。十人十色や思う。比べられんもん。わしが他人を理解できんのと同じで、他人もわしの価値基準は分からん思う。

多くの親は子供が「池に遊びに行く」と言えば「危ないから行くな」となる。丈一郎の父・粂治の教育は違った。「落ちたら泳げ」となる。5歳の丈一郎がいじめから脱出するために他人を殴った時も「間違っていない、自分を信じなければいけない」そう教えたという。そこには果敢にリスクを取り考え抜くこと、力は他人を痛めつけるものではなく、自分を支えるものだという真意がある。辰吉家の人間は、考え決めたことを曲げない。しかし、その裏で考え抜き決断を下すまでにどれだけ苦しみ、悩み抜いたのだろうか。その精神力を鍛えることが粂治の教育の根本にあったのではないだろうか。

5歳の子供にしたら最初は勇気がいったと思うわ、けどわし何でこんな奴らにいじめられとったんか思った。

わしはいじめられっ子やった。5歳の時までは、いじめられとったからね。でもよう考えたら蹴りばっかりなんよね、子供って殴ったりはせえへん、掴んで引っ張って蹴るとか大体蹴りやん。わしは家にサンドバッグあったから殴る練習をしとったから、ある日、いじめてきたやつを殴ってみた。ほんならもう蹴ることばっかりやからガラ空きやん、もっというたら蹴る人間って蹴るところ見てるやん。足元しか見てないからノーガードプラスノーディフェンスやからジャストミート(笑聲)。5歳の子供にしたら勇気がいったと思うわ、けどわし何でこんな奴らにいじめられとったんか思った。小学校入学とかになってくるとやっぱやんちゃな奴もおる。んなら当然やるわね。あっという間に厄介者になってきて学校に住みづらくなってきた(笑聲)。でもわしはね、義務教育の小学校一年から、中学校三年までの九年間、学校一日も休んでないからね。ただ中学校になってくると遅刻とか、帰らされるというのがあるからしょうがない。でも九年間学校はいった。学校が好きやったというか、性格が辰吉型やから。義務教育って国から与えられたもんなんや、絶対いかなあかん。それやったら全部いったれって。

小学生時代から中学生時代は喧嘩に明け暮れた生活を送る丈一郎。その名前は、児島だけではなく倉敷全体に及んでいた。しかし、徒党を組まず卑怯な喧嘩はただの一度もなかったという。ユーモアがあり筋の通った丈一郎は番長であり人気者だった。ヤンキー全盛時代、丈一郎がいた味野中学校は、いじめもなく皆が笑っていたという。

ほぼ毎日一年間300日は喧嘩やっとったかな、中学でだいぶ少ななったけど、小学校はえぐかったな。でも勝負勘、これをしたら勝てるじゃないけど、度胸というか、勝ち方というものは喧嘩で養われたかもわからんね。

うちらの時代って中学校そのものが、えげつないほどとんでもなかった。わしも毎日我流ながらではあったけど父ちゃんと練習してましたからね。ほぼ毎日一年間300日は喧嘩やっとったかな。中学でだいぶ少ななったけど、小学校の時はほんまにえぐかったからな。でも勝負勘やこれをしたら勝てるじゃないけど、度胸というか勝ち方というものは喧嘩で養われたかもわからんね。依田先生(=中学時代の担任・依田進吾)も、わしはこういう生徒やったんで家庭訪問が多かった。普通なら電話があって「ちょっとお子さんのことで」って出来んのよ。家に電話がないから逆に先生が伝えるために来なあかん。めっちゃアナログ(笑聲)。でも先生が来てようが来てなかろうが、時間帯になると練習は絶対するんよね。それを先生が見て「お、こいつは」とか思ったんでしょう。将来的に中学でたらどうするんならみたいな話になって、ボクシングの話になっていった。漠然とボクサーや思うてたけど、具現化していったね。疲れたり、心がくじけそうな時もあったやろうけど、夜九時になったら練習せなあかん。だからもう歯を磨くとか朝起きて顔洗うとか癖やないけど、これをせなもう晩寝れないじゃないけど明日は迎えられんみたいな。もうほんま習慣。ご飯を食べるのと一緒。白飯食ったっら味噌汁欲しくなるやん(笑聲)。時間になったら練習したくなる。

目指すところをいつも自分で定めとったんやろうな。まっすぐの最短距離ってほとんどないでしょ?わしも紆余曲折、そこで得られるものが経験や思うし面白いと思う。それを無理に避けよう思うと言い訳したり、誰もが心の隅にもってるずるい部分を見ないといけなくなる。

昭和の漫画はぎょうさん持っとったね。その当時は家にテレビなかったからね、そういうので記憶にある。根性もんが多かったな*『あしたのジョー』から、*『がんばれ元気』、*『男組』があって、*『空手バカ一代』があってそういう類のものは全部やな。あの時代の人間ってなんでか知らんけど大抵は読むよな。『男組』ヤンキーは大抵読むよね(笑聲)。*梶原一騎、*本宮ひろ志は多かったな、結局は根性もんやからね。わしは歴史に名を残した人は、好きというか興味がある。*坂本龍馬とか好きやな。火付け役やん色んな政治や何やら作ったのも今現在があるのも、ましてそれが大都会じゃ無いところから出てきた人がやり始めたことで今がある。ほんますごいことやん。人を動かす力があったんやな。それだけでは無理やろうけどその中で努力をして、一生懸命動いて働き考えたということじゃないかな。

昔でいえば*宮本武蔵イコール二刀流みたいなイメージが強いけど、二刀流でやったのは一回か二回しかないらしい。たまたま巌流島で小次郎とやった時に二刀流ってのがあったけど、そこまで行くのにものすごい色んな紆余曲折があったはず。その時に誰も生きてないからどっからほんまかっちゅうのはわからんけど、わしは宮本武蔵が好きや。小説とか、それを紐付いた番組観て、その通りの生き様やったら凄いよ。やっぱり夢がそうさせたんやないかな。目指すところをいつも自分で定めとったんやろうな。まっすぐの最短距離ってほとんどないでしょ?わしも紆余曲折、そこで得られるものが経験や思うし面白いと思う。それを無理に避けよう思うと言い訳したり、誰もが心の隅にもってるずるい部分を見ないといけなくなる。

 

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