生活者として生きる Living as a Human Beings (=not Consumer) 三宅洋平インタビュー(2/2)

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INTERVIEWS:
三宅洋平/音楽家、生活者

Chapter-2
移住者文化から生まれるローカル・ヒーロー
Local heroes born from immigrant culture

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音楽家、政治活動家、社会活動家と活躍の場が多岐にわたる三宅洋平。彼の心根にあるのは、世界をよくしたいという「純」な想い、いつも誠実でありたいという「粋」な想い、美しい炎を燃やし続ける彼の現在地からの熱い言葉に耳を傾けよう。

移住者文化

音楽人と生活者のコントラストと一緒で、政治的なビッグプレーヤーが世界を変えていく時代じゃなくて、ローカルヒーローが世界を変えていく時代なんよ。原発事故以降、沖縄を始めとしたローカル思考の敏感な人たちがワーッと動いて、そこで生活を始めた。はじめはローカルの人たちに訝しがられる、それは仕方がない。

それでも農産物にもちゃんとしたデザインを取り入れることで「道の駅」に並ぶものがグレードアップしていく。徐々に知識を持っているローカルの人から認められるようになっていく。大事なことは、都会が嫌で逃げてきたり、理由はそれぞれなんだけど、東京で培った感覚が生きるんよ。そんな流れを全国的に感じている。

あれ以降、何十万人が移住したのか正確には知らないけれど「移住者文化」が今の日本を変えつつある気がしている。俺が沖縄へ行ったときもびっくりしたんだけど、美しい海「美ら海」って言っているけど、そこで生まれ育った人にとってはその環境が当たり前すぎて、別段大事にしなくなるんよ。

ロコ「ここは何もねーとこじゃろ?」
三宅「俺らは生活者なんだ、その何もないのが最高なんよ!」
ロコ「そうなんかっ!山ならなんぼでもあるで(笑)」

自分らの感覚が麻痺していること、忘れてしまっている価値、大切なことを思い出させてくれるから、移住者たちのマインドは有難いって言ってもらったことがある。それは岡山に来てもよく言われる。いまローカルから生まれるヒーロー同士のネットワークが面白い。「移住者文化」が日本をローカルから変えつつあるし、変えていけると思っている。

ローカルとグローバル

世界的な傾向としてグローバリゼーションが進んで、どこの国へ行っても、中心部は景色が一緒になってきとるよ。面白くねえなと思って田舎へ行くとやっぱ見えてくるんよな。例えば、音楽的にも*OKI DUB AINU BANDや、エスキモーの*Otykenとか、伝統的な音楽と言葉を現代的に合体させたりする新しい時代の混合カルチャーが世界中でどんどん生まれきている。

それらは純粋にイケてて、ローカルとグローバル、ローカルイズムとグローバリゼーションがすごくせめぎ合っている。でも彼らを見ていると、軽々と両方取り入れている感じが、俺は美しいと思う。ローカルを守るからグローバルと戦うんじゃなくて、いいとこを全部もらって混合できること。今の10代、20代はその辺がスマートなんよ。「我々は侵略されたんだ!」っていう被害者意識的な痛みがない。

漫画『ゴールデンカムイ』って明治の時代、アイヌの悲惨な状況じゃなくて、アイヌのイケてる部分を前面に出してきている。だからうちの娘とか純粋にアイヌの模様とか服がおしゃれでかっこいいみたいな入り方なんよ。修学旅行で北海道へ行くのを超楽しみとか、アイヌ記念館「ウポポイ」に行きたいとか言っていて、めっちゃいい入口だなと思っている。

そこから入っていけば、おのずと歴史の黒い部分にも出会うわけで、いきなり黒いところから入らないっていう感覚が今の若い子たちにはちゃんとあるなと思うんだ。

左派の闘争的な部分で、それは必要なプロセスだったと思う。自分たちの置かれた状況をまず知ってもらわなきゃいけない、その権利を求めていかなきゃいけないっていうときに、そこへ左派思想が入ったから闘争的になった。

左派思想の根本は、闘争性とか怒りを煽ることで人を動かすメソッドだから、それが悪く利用されている部分も多々あるし、それを通り抜けたとしても俺は嫌だな。だけど右も左も嫌だっていう若い世代は、もうちょっとニュートラルに捉えている感じなんよ。俺はそこにすごく希望を見る。

闘争の先に見出したもの

俺は選挙に出て、どちらかというと左側に見られる言動だったからこそ、その闘争の過程があったからこそ、今があると思っている。つまり自分の中では右も左もないってこと。シージャー(先輩)として尊敬している喜納昌吉さんが、私は「うよく」でもない、「さよく」でもない、「なかよく」だってよく言っていたけど、その精神性を俺も受け継いでいるつもりなんだ。

そういう考えになると、左派の中に居場所がなくなるんだ。左派の中では一言「靖国」って言ったらもう悪の権化、お前は戦争擁護するのかってことになって、もう指一本触れたくないし、会話にも出すなみたいな感じになってしまう。

戦争が終わってから「あの戦争には意味がなかった、日本が阿保でやった悪い戦争なんだ」というのが既成事実になってしまったけれど、それは戦争で家族や親族が死なかった人の言い分じゃないかと思うんだ。戦争で爺ちゃん、父ちゃん、兄ちゃんが死んで、遺骨も戻ってきてない人にとってはもう「靖国」しか拠り所ねえじゃんかって思う。もちろん戦争は、どんなことがあってもクソなんだけど、細かいことを言えば、もうちょっと色々ある中で、そんなこと言おうものなら、お前は右かっ!てことになるわけだよ。

結局、右と左の蛇口を調整して、人々をコントロールしている向きもあるし、あれこれ胴元一緒やんみたいなことは、アメリカの民主党、共和党の二大政党制がその象徴だよ。俺の支持層ってそこが多かったはずなんだけど、安倍昭恵さんと接触した途端に、最も俺を攻撃してきて、俺を苦しめたのは左派なんだ。自分たちの正義しか見えなくなって、自分たちの正義のためなら、人をリンチしちゃうんだ。それを感じたから余計に自分のニュートラル性を大事にしたいという考えになった。

政治の分断っていうのは、右と左の問題じゃなくて、本質的には上と下の話だからね。そこに持っていかせないために右と左の話に落とし込んで民衆を分けているっていう構図がすごくはっきり見えた。選挙を経験したことで本当にそれがはっきり見えた。

選挙はさ、人だよ、人間の様相が全て現れる。あれだけのデカい渦になっちゃったっていうのもあるし、精神的にも追い込まれたけど、過ぎてしまえば良い勉強になったよ。この年になってようやく政治家やってもいいぐらいの素養が身についたっていう感覚だな。

パーマカルチャー

選挙の諸々がようやく片付いた2018年に、外を見たいと思ってアメリカの「パーマカルチャー」の優れた現場を見て回る旅をしたんだ。“Perma-culture”っていうのは、permanent に永続できる agriculture 農業っていう造語で、80年代のオーストラリアが発祥で、提唱者のビル・モリソンはタスマニア大学教授で、自然環境豊かなタスマニアに石油コンビナートを作ろうとする企業と戦って、もう毎日のように環境保全運動のデモに出ていくような人だった。

その闘争の中に身を置いているうちに、自分も家族もボロボロになっていって、これは暮らしのデザインを変えないと駄目だってことに気づいていく。環境保全運の理想は語るけれど実際に自分の生活にまで落とし込んでいる人がいないってことにも気がついた。それならいかに面白おかしくハイブリッドに科学の力も取り入れながら、パーマネントなアグリカルチャーを作り上げていけるかっていうことを、ロジカルに考えていったんだ。

でも実は彼らがお手本にしたのは*福岡正信と自然農法だった。江戸時代の日本の農業なんよ。俺らチームでアメリカ見学へ行ったら「わざわざ水もないカリフォルニアへようこそ!あふれるほど水がある日本からやってきた諸君!皆さんは、ここへ何を勉強しに来たのですか?」ってさ、お前らの学びたいことは、お前らの足元にいっぱい落ちているだろうっていう投げかけだった。

江戸時代の農業がどれほど優れていたかっていうと、まず大便を畑に戻したのは世界で日本人が最初だからね。これこそがまさに究極のサステナビリティだよね。自分が食ったものを大地に返すとなると、何を食うかの責任が生じる、化学物質とか、放射能を含むものを食べていたら、それを大地に返すことになる。それを子供らに食べさせることになるからね。

人間と大地の繋がりがあることを意識することで生き様が変わるよね。やっぱり遠くで採水されたミネラルウォーターをお金で買って、健康に気を遣っているんですっていうのは、自分の立っている土地を大事にする気持ちには繋がらないから、どっかで綺麗なところから持って来ればいい、ここはもう終わっているから仕方ないっていうことじゃないんよ。

*福島正信 ふくしままさのぶ(1913〜2008年)
愛媛県伊予郡南山崎村に生まれ、旧姓松山中学、岐阜高等農林学校(現・岐阜大学応用生物科学部)卒の農学者。世界各地で「粘土団子」による砂漠緑化に取り組み、自然農法を提唱した。

1丁目1番地から始めよう

俺は、米国オレゴン州発祥の都市型パーマカルチャー運動「シティリペア」の創始者の一人であるマーク・レイクマンの考え方にすごく共感したんだ。それは、 自分の隣に住んでいる気むずかしいおじいさんと話もできてないようじゃ、まったく世界平和は作れてねえじゃん!ってこと。

おじいさんと仲良くなるために、まず奥さんがケーキを焼いて持って行ったり…、そしたら最初は数センチしか開かなかったドアがだんだん開いてきて、最後は彼もプロジェクトに参加してくれるようになって話。たったひとりの気難しいお隣さんと平和を構築するのに6年かかった。本当の良きことはカタツムリの速度で、これこそが本当の政治なんだと。

「〇〇村の〇〇さんが、そんなことやったらしいよ!」「へえ!それなら俺たちにもできるぞ!」みたいな思いを描くこと。うちでもやろうぜ!っていう小さなストーリーにパワーを持たせることなんだ。「1丁目1番地」をどう作っていくか?結局それは、生きる原点をどう作っていくかっていうこと。

壮大なプロジェクトにかまけて、そこを等閑にしちゃっていたってこと。だからグレートな人だからできたことに委ねて世界を作るんじゃなくて、ローカルヒーローが世界を変えていくっていうのは、そこを変えようって発想なんだ。

本質的にローカルヒーローが世界を作るべきという考えに基づけば、ビッグリーダーに何かを期待して自分たちの主導権を手放すことは一番危険なことだと思うんだ。将来AI が統治する世界像っていうものが人間の歴史の進化の過程を考えれば確率的に避けられない未来なんだと思い込まされている気がするんだ。

でもそうじゃない。俺らは自分でデザインしたいんだけど、その意思を削られているんだと思う。ダボス会議に集まるような、資金力や科学力がないとできないことだけで判断するんじゃなくて、「1丁目1番地」という自分の世界、家族とか、お隣さん、村コミュニティっていうところに目線をシフトすれば、やれることはいっぱいあるから無力感に苛まれずに済むと思う。

俺は薪で火を起こす度に思う、物事が燃え広がっていく原理は一緒なんだと思うから、地味で何も起きてないように見えるけど、種火が基本でしょ?その種火が美しくないとさ。ある瞬間からブワって火がついてくるその火が、炎になっていく。俺はそこにトライしていくべきだと思っている。【了】

☞ 生活者として生きる Living as a Human Beings (=not Consumer) 三宅洋平インタビュー(1/1)


Profile
三宅洋平(みやけ・ようへい)
1978年7月24日ベルギー生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て、2000年夏にバンド “Dogggy style” を結成し、レゲエをベースに様々な音楽要素を取り入れたスタイルで、吉祥寺を中心に旺盛なライブ活動を行なう。その後、2009年に無期限で活動休止し、2017年に「犬式」 (INUSHIKI)として再び始動。現在、岡山県加賀郡吉備中央町に在住し、政治活動家・社会活動家としても活躍。

三宅洋平Official Instagram
https://www.instagram.com/miyake_yohei/

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