生活者として生きる Living as a Human Beings (=not Consumer) 三宅洋平インタビュー(1/2)
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INTERVIEWS:
三宅洋平/音楽家、生活者
Chapter-1
Returning to The Roots
岡山という「地球」に生きる
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音楽家、政治活動家、社会活動家と活躍の場が多岐にわたる三宅洋平。彼の心根にあるのは、世界をよくしたいという「純」な想い、いつも誠実でありたいという「粋」な想い、美しい炎を燃やし続ける彼の現在地からの熱い言葉に耳を傾けよう。

生きるために時間を使う
「岡山どうですか?」ってよく聞かれるけど、俺の住んでいる場所は岡山なの?って感じやな。それは例えるとアメリカへ行ってサンフランシスコから入国して、とりあえず人がいない場所を目がけて、最終的に行き着いたところがこの場所なんよ。つまりそれは「地球に帰りたい」っていう強い想いなんだろうな。
ここで暮らすことは、薪をひとつ取っても、毎シーズン軽トラ10杯ぐらい用意することから始まる。もう冬はずっと山の整備で、それがその日の生活に直結するから、その充実感はすごい。だからここでは1日の3分の1の時間を生きるために使っている。
でもそれは都会の感覚で言うと、時間のロスなんだ。その時間に仕事がしたいからとか、そのためにお金を払って誰かに頼むとか、文明の利便性に任せるっていうことになるんだけど、それは地球に生まれてきた一番のメリットを、自分から手放している可能性があると思うんだ。

若い頃から俺は歌い手という部分でフィジカルを作ることをすごく大事にしてきたけど、都会にいるとその体を維持する方法はスポーツとかジムとかになるんだろうけど、こっちに来てからはそんなことをやっている暇がないんだ。1時間ジムで重い物を持ち上げるなら、うちに来て手伝ってくれんか?みたいな気持ちだよ。だから勝手に体ができていく。
若い頃にバンドで行き詰まったとき、ガテン系の仕事とか、荷揚げのバイトもやったけど、あの頃はただただ辛いだけだった。今は同じ仕事量でも充実感がある。それは時間とお金を引き換えにしてないからだと思うんよ。子供や家族のためだと、やっぱり体が動くし、気持ちも動く。

「生活者」になって欲しい
「お父さんミュージシャンだから、君も将来はミュージシャンかな?」うちの子はそうよく言われるみたいだけどね。音楽は親として今も伝えたいことのメインだし、楽器は持たせたりはしているよ。だけどそれで食えりゃあいいけど、それ以前にまずはたくましい「生活者」になってほしいっていう思いがある。
それは畑とか田んぼ、海でもいいんだけど、その恵みをちゃんと抽出できる力と、それを守っていく力が身につけば幸せになれるんじゃないかなと思っている。システム論として世界をどう作って、どう世界を救っていくのか、それは人類の総体としては最終的に考えなきゃいけないとは思う。
でも結局それを語っている人たちが、人間としての動物性であったり、「生活者」としてのたくましさを失った状態で話し合っても、全部 AI に任そうって話になっちゃうからね。問題の一番の根源はそこだと思っている。
都会にいるとき感じていたことの一つは、象徴的だけど、要するにマインドが満ち足りてないんだよね、充足できてない。つまり不幸せ、幸せ感がない人たち同士の軋轢というか、幸せって何なんだってなったときに、それは絶対お金じゃない。そりゃあツールとしての最低限のお金ってのはもちろん必要な場合はあるけど、基本的にはもう既に全部与えられているものを生かす力、知識、行動力だと思うから。
まず基本は「生活者」であること。たくましい「生活者」であり、その共同体「コミュニティ」があることから、初めて社会を作り直していくという原点が見えてくる。それらがネットワークで繋がり合って助け合っていく、そういう国や世界であったらいいんじゃないか、そう考えるようになった。

ミドルクラスのガキどもの戯言
今の俺は落武者なんよ。ここは平家の落人の村らしいから、ぴったりな場所に来たなと思っている。こういう場所に来て、今そういう心境なんだけど、なんだろうなあ、政治的な表舞台から消えてからの今この時間の方が、遥かに政治を勉強している。
2回目の選挙の直後ぐらいまでは、どちらかというと左派側にいたからね。やっぱりあの頃、自民党の安倍政権の中枢がほぼ全員「日本会議」ということを菅野完の本を読んで知ったから、これは宗教まで利用したすげえシステムでやべえなって思っていた。もうエネミーイメージを植え付けられていたんだね。
でもここに来たらさ、ソフトに言うたらもう村全部がそうなんよ。岡山県だから「黒住教」の人たちが多いし、結果的にそこへ繋がってくるわけだ。最初は「山本太郎と選挙に出た奴」っていうんで、斜めに見られていたし、俺の方も斜めに見ていた。
だけど8年間暮らして、970年続いている祭で同じ神輿を担いで過ごせば、そりゃあ仲良くなるよ。暮らしぶりを見ていると、みんな実にまっとうに保守な人たちなんだよね。普段は町に3軒しかないコンビニのおっさんだと思っていた人が紋付袴姿で総代さんとして出てくるんじゃからね。「おっ、かっこええ!」ってなるよ。普段は口数が少ない人なのにバシっと挨拶かましてね。
そんな人たちからしたら、都会の左派が言っていることなんて、もうミドルクラスのガキどもの戯言なんよ。すごく自分の中で修正が入った。分かっているつもりだったけど、右派、左派じゃねえって言いながらも、やっぱ右派にエネミーイメージがあったしね。でも、今はないよ。むしろ都会の左派の連中に伝えたいみたいな気持ちになっている。

原発反対って言えば右翼に空き缶投げられて、よく考えてみたら左翼が旗を振っているみたいに見えるなと。俺は左翼じゃないんだけど、共産党じゃないんだけどって言ってみても、このままいったら共産党の片棒を担いでいるみたいになるよなって。
確かにうまく利用されていた、山本太郎も三宅洋平も彼らは初めから利用しようとしてきたからね。でも、こいつら言うこと聞かないやつらだってわかってからは、一変して攻撃するように変わっていった。
左派って結局プロパガンダとイデオロギーだから伝統的に内部分裂文化なんよ。だけど右派って保守で利益供与だから、もう多少の考えの違いは当たり前の中で、ここは一つ、まとまりましょう!みたいなね、「よしっ、県から予算取りましょう」みたいな雰囲気になると話も早いし、強いんよ。
今ならどちらにも寄らないで、どこにも寄らないものの言い方ができるだろうなって思う。ホントど素人もいいとこだったね。素人の乱(笑)。ただ公職選挙法が変わって、SNSを選挙で使って良くなった最初の選挙が2013年夏の参議院選挙だった。俺はこのSNSっていう「ピストル」を使わしてもらえるなら勝負できるかもっていうところは正直あった。
当時、右も左も既存の政治家は、失言の嵐が怖くて誰も手をつけられなかったんだ。だからほかの政治家にとって俺は青いけど空気を一切読んでない強さと怖さがあったんだとは思う。【続く】
☞ 生活者として生きる Living as a Human Beings (=not Consumer) 三宅洋平インタビュー(2/2)

Profile
三宅洋平(みやけ・ようへい)
1978年7月24日ベルギー生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て、2000年夏にバンド “Dogggy style” を結成し、レゲエをベースに様々な音楽要素を取り入れたスタイルで、吉祥寺を中心に旺盛なライブ活動を行なう。その後、2009年に無期限で活動休止し、2017年に「犬式」 (INUSHIKI)として再び始動。現在、岡山県加賀郡吉備中央町に在住し、政治活動家・社会活動家としても活躍。
三宅洋平Official Instagram
https://www.instagram.com/miyake_yohei/
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