腹からやりたいことをやる。その勇気こそ創造だ。横尾忠則(1/2)

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INTERVIEWS:
横尾忠則(よこお・ただのり)Tadanori Yokoo / 現代美術家

子供の頃に勝手に旅に出て捜索願を出されるような自由奔放さ、それを咎められ抑圧されていく中で、だんだんと人の目線や評判を気にしながら物事を判断し、だんだんと自分で考えたり、感情を素直に表現することができなくなる。

利得効率だけで判断する様なつまらない大人にはなりたくない。“ 子どものときのまま 感性を大切に生きられるか 横尾忠則から真の自由な生き方を学ぶ ”

観念

僕には30代、40代、50代だとか、そういった齢の観念がないです。もうそのままズルズル来ているから今も20歳の様なところもあるし、もしかしたら100歳のところもあるかも分からない。自分の中に全ての齢があるような気がしますね。

僕が40歳の頃は、海外からレコード・アルバムのデザイン依頼が多くて*マイルス・デイヴィスが、カルロス・サンタナの『ロータスの伝説』から始まった一連のジャケットを見てくれて、自分もこういうデザインをしたいと。

このときアルバムのタイトルは未だなかった。それでデイヴィスがタイトルを僕に決めてくれと言うわけ。でもそんな無責任なことをね…、だけどその無責任さがまた、なかなか良いね。

僕が命名した『*アガルタ』というのは地底王国アガルタ伝説です。僕はこの頃、ヨガの根本原理にも興味があったし、これは地球の内部にある風景です。知性を超えた超自然的なものを描いていて、このアルバムタイトルを『アガルタ』にしたいと言ったら、非常にデイヴィスも気に入ってくれた。

*柴田錬三郎さんが「作家であるべく人間が、超自然的なものを無視すると、小説なんか書けない。自分の内部にあるものを否定している作家というのは偽物だよ」そんなことをいつも言っていましたよね。僕は、近代的な知性や文化的観念の入る余地がない部分に創造があると思っています。

*マイルス・デイヴィス
モダンジャズの象徴的存在でありながら、ジャズの共感・即興・構築性を再定義し、以降のジャズ音楽、ロック、現代音楽にも多大な影響を与えた。時代ごとにスタイルを大胆に更新しつづけ、同時代の社会、政治、人種問題とも直面し続け、自分の音(=生き方)を貫いた孤高の天才。

*アガルタ
マイルス・デイヴィスが1975年に発表したライブ・アルバム。アートワークは横尾忠則。アガルタとは、地球の内部に存在するとされる隠された理想郷で、地上世界とは異なり平和で繁栄した社会が存在すると信じられる。

*柴田錬三郎
「男は誇りと美学を持って闘え」、“信念を貫く美しさ”を描き続けた。文壇の異端児的存在で、時代考証よりもドラマ性や美学を重視し、生涯「武士道」や「個の誇り」をテーマに描き、男性読者に熱狂的に支持された。隆慶一郎、北方謙三、柴田よしき など、後の時代小説家に多大な影響を残す。

ノーコンセプト

僕は宗教を持っていないけれどもね、うちの母親の母親が神道の黒住教を信じていました。開祖は江戸時代の黒住宗忠さんという方だけど、僕は現在の黒住教の教主さんに聞いてみた。

横尾「黒住教の教えはなんですか」
教主「いや。うちの宗教に教えはないんですよね」
はたと困ってからそう言う。
横尾「教えがなく、どうやって布教活動するんですか」
教主「強いてあるとすれば、阿呆になることですね」
と言う。

我々のこの世界は、いかに阿呆にならないように賢くなるかという教育をされてきたわけでしょう。それが阿呆になれと。阿呆になることはある意味では、悟りに非常に近いところにいるわけですから、禅の考えないということに通ずるわけです。もうリズムに肉体を預けちゃう阿波踊りの阿保踊りじゃないけども、馬鹿になるというのとは違います。

知的に物事を説明できるようにする世界というのは、極力悟りから離れようとしています。僕がやろうとしていることは、言葉で説明できないことをやりたいわけです。そういう状況に自分を置いて、それで作品を作るということです。だから「どうしてこんな作品が出来たのですか?」と言われても、考えがないから、知らないうちに出来ちゃったのですよと、それしかない。頭から一切の観念を排除して、肉体が発する魂の呼びかけに応じることが僕の作品です。

子供性

それと芸術の核になるインファンテリズムというのも、非常に重要な要素だと思います。我々の中に存在する子供性というのか、その子供性というものを失くしてしまうと、クリエイティブな生き方が出来なくなります。分別臭い、妙な知識人になってしまって、つまらなくなりますよね。僕にとって絵を描くことは、大人になるよりも、子供に戻ることに近いように思います。

今のアーティストの大部分は、コンセプチュアルアートというくらいに、コンセプトに従って作品を作りますけど、つまりは徹底的に考える観念です。僕はコンセプトから離れてしまった、考えない。考えがないと何か人に信用されないみたいなところがあるじゃないですか。そんなもん信用されなくたっていいわけですよ。

レディ・メイドではなく、腹からやりたいことをやればいいわけです。僕は、そこにある勇気が創造だと思います。だから僕は徹底的に考えない概念で作品を作ってきたし、これからもそういう態度で作っていきます。
【続く】

☞ 白黒つけない、ごちゃごちゃ混ぜ混ぜの世界へ(2/2)※10/15公開予定


Profile
Name: 横尾忠則(よこお・ただのり)Tadanori Yokoo
DOB: 1936
POB: Hyogo
Occupation: 現代美術家

1936年兵庫県生まれ。国内をはじめ、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館など各国で個展を開催。高松宮殿下記念世界文化賞受賞。2020年に東京都名誉都民顕彰、2023年文化功労者、日本芸術院会員。

近著に「昨日、今日、明日、明後日、明々後日、弥の明後日」(実業之日本社)「僕のY字路Painting」「僕とY字路Photograph」(トゥーヴァージンズ)など。2026年春にはイギリスのThames & Hudsonより500ページの作品集、ドイツから1,000ページのポスター集が世界発売される。
https://www.tadanoriyokoo.com/
https://ytmoca.jp/

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