二面性、コンプレックス、ミロス・ガレージ、初日、デザイン、マインド。COMOLIの魅力と、小森の魅力(1/2)

COMOLIの魅力と、小森の魅力

日常の中心にある文化の根っこから紐解かれ、多くの思考を経て作られるCOMOLIの服は、究極の日常着。目にみえる実用的な意匠、そして目に見えない文化的な背景が潜む服からは、色褪せない音楽と同じ様に、初期衝動を思い出させてくれる。COMOLIの服を知るには、小森を知る他に方法はない。


二面性

僕が生まれ育った東京は、僕的には何にもなかった。田舎も嫌だし、都会は憧れるけど、すごく中途半端な場所で育ったメンタルが未だにあります。唯一、堤義明氏が作った西武ライオンズが好きでした。白と青だけで煩くない。当時の西武球場には一切の広告も入ってなかったしクリーンでした。そういった削ぎ落とされたものへの憧れが僕の根元にはあります。

僕が好きな場所や街は全部そうです。旧東ドイツの街もそう、余計な装飾が一切ない。はじめてカッコいいと思ったお店、かつてのSTUSSY代官山チャプトも並木橋EMもクリーンでした。

強いけど可憐だとか、相反する感情が同時に宿っていて、心理的な葛藤がある様な二面性のあるものに惹かれます。強すぎるものが嫌いなんです。人も物もみんなそう、サッカー選手で言うとプラティニもカニージャもロベルト・バッジョも、マッチョじゃないのに巧い。 靴下をちょっと下げてリラックス感がある、長袖を着てても汗をかいてなさそうにプレイするなんとも言えない色気もある。そういう選手に憧れました。

コンプレックス

早生まれで体も声も小さくて弱かった僕は、学ランの中にサッカーソックスを入れて体をデカく見せたり、サラサラの髪の毛が嫌で洗わずに学校に行ったりもしていました。自分の劣等感とかそういう感覚は、大人になっても、あんまり変わらなくて、中二ぐらいまでの感覚が今でもずっと残っています。

学校で決められた制服はカッコ悪いけど、不良じゃないから標準服かどうかわからない様な改造パンツを買いに行くんです。 目立ちたくないけど、ちょっと主張したい。 自分はそこに行けないんだけど、ここの人たちにちょっと入りたい衝動です。

バンドやってる人、スケボーやってる人、ダンスやってる人を見ると「俺もこういうブレーンにいたいな」そうずっと思っていました。憧れがすごく強いんだと思います。親は洋楽も聴かないし、衣服にも特に興味がなかったからカルチャーを感じたのは遅かった。サッカージャージ意外ではじめて買った服が、改造制服屋さんで買った白のボディに黒でCOMPLEXって書いてあるMA-1ですから(笑)。

ミロス・ガレージ

高校の入学式、僕はSTUSSYのシールをカバンに貼って行ったんです。それに反応した子が「あっ小森くんSTUSSY好きなんだ」その一言から友達になったソガベくん。きっかけって意外とそんなもんです。

ソガベくんは、カート・コバーンが死んだ時に学校に来られなかった。それぐらい真っ直ぐにのめり込む子でした。いつもソガベくん家に行ってカセットテープでオアシスとか聴いたりしていました。僕に負けないくらい色々調べるんですよ。本当にカルチャーのことを話せるのはソガベくんぐらいでした。

彼と花園神社にあったミロス・ガレージに行った事を今でもよく覚えています。僕は赤いVネックニットに、東急ハンズで買ったチェーンを首に巻いて、リーバイスの66…。スーパースターの黒白が買えないから靴流センターで買った白いアディダスをマジックで黒く塗るという(笑)。

入口まで行くんです、音はもうズンズン聴こえてきる…だけど「これはちょっとダメだね」ってビビって扉を開けれずに帰った。あの頃の僕は、劣等感ばかりだったけど、今になって思うのは、ミロス・ガレージに入れなくて良かったと思います。あの場所に入っていたら、今の自分はいなかったと思います。

初日

何もしてこなかった僕は、簿記か、調理か、洋服の何れかに進むしかなかった。それで文化服装学院に入るんですけど…文化のデザイン科には、町一番の俺が一番オシャレだぜみたいな奴等が来るんですけど、みんな正直カッコ悪い。男のヘソだしとか、もうそういう人たちとは本当に話ができないと思っていました。

最終的に僕は、学校の授業には一応出るけれど、服も見ない、服も買わない、ファッションに興味がなくなってしまった。とにかくやる気がなくて、堕落した奴が一番カッコいいと思っていました。何もしなくて、何も考えない。ひたすら毎日グランジの音を聴いて、新宿のマックでマルボロ吸って、学校の喫煙室にいたくらいです。

文化服装に行って唯一良かった事は、入学当初のある授業を聞けた事です。「いつ、誰が、どこで、何のために、服を着るのか?」その要素が明確でなければ、どんな衣服を作っても意味がないという様な授業でした。だけどその授業以降の三年間、生徒全員が「いつ、誰が、どこで、何のために、着て良いのか分からない服」を作り続けるんです。僕はそこに全く意味が見出せなかった。

デザイン

そんな時、友達の先輩に「コモリくん、ブランドやろうよ」と誘われたんです。先輩は歳は一個上、雑誌CUTiEのLAST ORGYが流行っていた時代に、その月の号に掲載されているアイテムをなぜか持っている様な人でした。

夜な夜なUSボディにミュージシャンの写真集とか、ニルヴァーナの曲名だけを書いたTシャツを勝手に刷って、それをアストアロボットとかワールドワイドラブに売りに行ってました。結果的にその「ブランドごっこ」をやった事で、僕はブランドに興味を持ちはじめました。

だけどその頃の僕は、ラルフやJ.Crewのチノパンに、僕がUSボディに嘘で刷ったGのTシャツですから、男服をデザインする概念がそもそもありません。だから学校のデザインに関する課題がどうしても出来ない。

デザインも出ないのに頑張って、いつもノートとペンの前で夜中まで手が動かせない。もういわれた通りに昔の教科書の原型を作るしかない。もはやもう何も出来ない子なんです。ラルフやJ.Crew、バナリパとUSボディーでいいじゃんってずっと思っていました。正直今でもその考えは変わって無いと思います。

マインド

後年、クロムハーツのPRの方が、南青山にあるクロムハーツのお店を地下一階から二階まで紹介してくれる機会がありました。創設者のリチャード・スタークは自身のマインドとライフスタイルを表現しているだけで、表層的なファッションではないのだと感じました。

自分という人間を、そのまま表現すればいい事に気付いたんです。ロンドンのマーガレット・ハウエルのお店に行った時も同じ感覚だったのを覚えています。

僕は自分の中のデザインに対する概念、デザインできない理由をずっと探していました。特に宗教もない、東京の片隅に生まれ、海も山もない、装飾のない街、西武鉄道が作った作られた街で生まれ育った僕から、欧米人のようなデザインが出てくるわけがない。無理して欧米人の様な柄、色を出す必要がない、そういう事です。【続く】

☞ 枠外にある服、創作落語、歴史上にない服、原点、魂、時間。COMOLIの魅力と、小森の魅力(2/2)
※近日公開予定


【Profile】
Name: 小森 啓二郎(こもり・けいじろう)Keijiro Komori
DOB: 1976
POB: Tokyo
Occupation: COMOLI Designer
1976年生まれ。東京都出身。文化服装学院を卒業後、大手セレクトショップに入社。デザイナーとして10年勤めた後、独立。2011年に自身のブランド「COMOLI」を立ち上げる。“全ての洋服の原型は欧米から生まれ、ある目的の為に作られた物である” この考えを基に、その時の気分や感覚を取り入れた洋服を提案している。
https://www.comoli.jp
https://www.instagram.com/comoli.official/

RECOMMENDS