Grok Leather浅井吾朗は、使う人の気持ちを死ぬほど考え、汗をかき、仕事に精を出すことで喜んでもらう。この感覚がモノづくりの現場で忘れられている。

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INTERVIEWS:
浅井吾朗/Grok Leather/クラフトマン


時代がファッション化しても尚、ここにあるモノたちは輝き続ける。自ら山に入って鹿の命を頂き、革を剥いでモノを作る。確かな技術に裏打ちされた仕事の数々と、デザイン 皮革裁断、縫製、彫刻、染色など、すべての行程が100%ベンチメイドで行われている事に帰来する。見た目だけの格好良さ、頑強さだけを追求しないモノ作りには想いとストーリーが溢れている。ここには、デザイナー浅井吾朗氏の細部にまで拘り抜いた究極の「品」が存在している。

何もないところから、何かを作る。ココではひとりの人間が作ったモノしか売らないんだ。

ここは、ムラ(M&M Custom Performance)を通してカツさん(PORTER CLASSIC代表、吉田克幸)から空いたよーって誘ってもらったんだ。はじめ銀座って聞いたときは抵抗があったんだ(笑聲)だけど来てみたら、この建物だけ昔の原宿みたいな、何もないところから何かを作れる。そんな気がしたんだ。バッチリだと思ったよ。BENCH MADE GINZAには自分で作ったものしか置いていない。服は別だけど、それ以外のものはひとりの人間が作ったモノしか売らないんだ。

自分には負けたくない。自分に負けたらそれで一生が終わっちゃうんだよ。

否定じゃないけど、モノを誰かに作らせる人が多くて、モノを作る人があんまりいないって思ってる。自分の手を動かさなくなってるから世の中が狂って来ているんじゃないかな?街を歩いていても、なんだか似たようなモノが溢れている感じがするよね。だから、それに対してのアンチテーゼなんだ、そうじゃなくてもやっていけるんじゃないかっていう。俺の世の中に対する皮肉。誰に話そうが、何やろうが、結局自分だから。だから自分に負けるなって想いで頑張ってるよ。自分に負けたらそれで一生終わっちゃうじゃん。ひとつラインを踏み外したら終わりだよね、ギリギリんとこでやってるよ。

*現在は、銀座から元代々木町に移転。BENCH MADE Motoyoyogiとして営業中。

その人に心酔すると、その人でしかなくなってしまうし、人に影響されちゃったらモノは作れないと思う。

俺が10代後半によく通ったハンドクラフトのお店、そこにあるモノが格好良くてね、大好きだったよ。手に入れた嬉しさは今でも忘れられない、今でも。二十歳の時にショベル買ったんだけど、そこの店主が凄い喜んでくれて、一緒に走りにいこうぜって走りに行ったんだ。当時五十位だったけど、もの凄い飛ばすの。このおやじカッケーってなったよ。スッゲー飛ばして、やばいっ、ついていけねーと思ったそのスピードにね。俺もお金なかったから、すげー少しのガスで走ってたら、「タンクが錆びるからガソリン入れろ」って入れてくれたりね。よく可愛がってもらったんだよ。そのまま焼肉に連れてってもらって、好きなだけ食え!みたいなね。特上だよ、特上もってこいーなんっつてね。あの人お金もないのに、嬉しかったよ。すげーカッコよかったよ。でもぶっちゃけ本音。俺、人に影響されちゃったら物作れないんと思うんだよね。格好良いなとは思うけど、俺の望んでるかっこよさではないと思う。その人に心酔しちゃったら、その人にしかならなくなっちゃうからね。

『ランブルフィッシュ』のMatt Dillonには憧れたよ。ロンドンナイトやロカビリーナイトにも音楽を聴きに行ってたよ。

映画好きな少年だったよ。 『ストリート・オブ・ファイヤー(原題:Streets of Fire)』 『アウトサイダー(原題:The Outsiders)』みてGジャン着るようになったかもな。 『ランブルフィッシュ(原題:Rumble Fish)』のマット・ディロンのバンダナの巻き方と革のブレスの巻き方にやられたよ。 デニス・ホッパー、ミッキー・ローク、トム・ウェイツ、ニコラス・ケイジ凄い面子だったよね。 映画はやっぱり好きだったな。色々影響を受けたよ。 そんな時に、クラッシュピストルズみたいなパンクミュージックに傾倒していったんだ。 それでロンドンナイトやロカビリーナイトなんかにも通うようになって、あぁこんな音楽もあるんだーってね。 今でも好きなのはナイン・インチ・ネイルズかな。マッシブアタックとか。 モーターサイクルカルチャーが好きで、一時サザンロックにもいったことがあるよ。 南部の人たちはやっぱバイク格好良かったからさ。 十八歳くらいで古着屋に入った頃かな、レーナードとかね。あれはカッコよかった。

昔の人が作ったものを探してるだけじゃ駄目だったんだ。モノが作りたい気持ちが凄く強かった、ただ何を作って良いか解らなかった。

古着やインポートものが好きで、十八歳から古着屋にいたんだ。そこにあるアンダーグラウンドの匂いが好きだったんだよ。アメリカやヨーロッパに買い付けにいったり、全部じゃないけど、世界に転がってるモノの大抵は見てきたよ。身近にあった古着の世界に飛び込み、それなりに古着の事は分かったけど、ある時、昔の人が作ったものを探してるだけじゃ埒があかねぇと思ったんだ。これじゃあモノは作れない。昔からモノが作りたい気持ちが強かったんだ。だけど、若いから自分の中で何が作りたいかは解らなかった。そんな時に先輩が服屋を始めるんで引っ張ってくれたんだ。でも服作りは監督業で、モノを作るっていう事じゃなかった。だから、音楽でいうと服作りはDJなんだよね。音楽でいうなら自分でギターを弾きたかったんだ。そこで洋服作りは俺が望んでたものとは違うことに気づいてしまい三十歳で独立したんだ。

すべての作品に伝えたい心が詰まってる。人の悲しさや嬉しさを知らない人に、良いモノは作れないと思ってる。

やっぱり自分で作ってるから全部にストーリーがあるんだ。ストーリーがあるっていうか、くっついてきちゃうんだよ。どうしても。一個一個つくるのに本当に時間かかるし、大変だしね。だからこれってどうなんですか?って聞かれるとずーとそれについて話しちゃうんだよね。これ作ってるときこうでさーなんてね。一晩かかっちゃうね。俺ね。結構本を読むんだよ。ってもあれだけどね、刑事だ、ハードボイルドだ、探偵とかそういう本なんだけど(笑聲)でもそういう文章の中で想像するんだ、その主人公が財布を出して金を払ったみたいな文章があると、この人は、どういう財布使ってんのかなとか、こんな財布使ってたら面白れーなーみたいなことを考えたりしてる。人の悲しさや嬉しさを知らない人に、良いモノは作れないと思ってて、悩んで迷って壁にぶち当たったヤツが作るから良いんだよ。まあ俺はそうやってすんなりやれた事がないからさ。バカだなこうやれば良いのにって思われてるのかもしれないけどね(笑聲)。やっぱいろんな想いがあって作ってるけど、買って使ってくれる人が幸運じゃなきゃ駄目なんだ。Grok LeatherってGLでグッドラックだから、使ってくれる人にグッドラックが引っ掛かってくれるといいなと思ってやってる。

情熱を食って、良いものを作る。だから今の道具を使って、俺は今のモノを作るんだ。

例えばミシンが何年代の何々っていう人がいるでしょ?でもそういうのは全部ウソだと思ってる。今作ってるミシンで縫わなければウソだとおもってるんだ。ミシンを作ってる機械工の奴がいて、そいつが飯を食うには、いま生きてる俺がミシンを買わないと奴らは食えなくて、ミシンというものが存在しなくなる。だから今のミシンを使って、俺は今の物を作るんだ。どっかに俺みたいな奴がいるんだよ。ほらミシンをつくってる奴、糸を編んでる奴ってのが。それぞれお互い助け合わないと、絶対それがなくなっていくから。ミシンというものが。日本製というミシンというものが。

イギリスの工場で働いているという奴がお店に来たんだ。やっぱ生活厳しい、食えないなんていうんだ。「俺は情熱を食って生きてるんだ」って。なんだこいつ格好良いこと言うじゃねーかと思ったよ。情熱食って貧乏してでも良いモノを作るんだってそう言ってた。だから俺はいつかそいつの作ったモノをどこかでみつけたら買うよ!って、そいつも俺の作った物を買って帰っていった。本当は、安くしてやったほうが良かったのかもしれないけど、情熱を食うって言うから、バッチリお金はとってやった。その代わりお前が作ったものをみつけたら、俺はバッチリお金を払って買うからってこと。だから世界には、そうやってものを作ってる奴がいるんだから、支え合おうと思ったんだ。

答えを知る為にモノを造って、モノと向き合ってるんだ。自分の手を動かしてやってれば、もしかしたら答えが解るかもしれないと思ってね。

新作を作る時、図書館で長い時間を過ごすんだ。そこで頭の中に浮かぶアイディアを実現する為にたくさんの文献を漁って確認していくんだ。勿論wikiでその場で調べられるってのは解るんだけど、俺には手にとって本を読んだ時の感触が大事。手からも何かが入ってくる、モノには心が宿ると信じてるからさ。アイディアはいつも自分の中にあると思ってるんだ。それが俺の場合は、美しいものを見た時に明確になってくるんだよね。だから感動するっていう心を大事に、そういう機会に触れるようにしている。頭の中で考えた空想を如何に現実として作る為に、毎日作業して腕を磨いている。

「意味のない仕事は、やらないよ」若い頃はそう思ってたんだ。でも意味のない仕事なんてないんだよ、そんな考えを持ってた自分がつまんない人間だったんだ。答えを知る為にモノを作って、モノと向き合ってるんだ。ほら俺は洋服屋だったから、世の中で良しとされるモノや売れてるモノは散々みてきたけど、それは結局そこ止まりなんだよね。それは俺の中の答えじゃなかった、何故このモノが良しとされているのかを理解する為には自分の手を動かさないと解らないんだよ。

口では言えない何か、魂がモノに宿る。細部に込める想いが積み重なったそこに「品(ひん)」が存在すると思ってる。

俺、あんまり職人って言葉が好きじゃないんだ。職人って言葉は何か逃げなような気がしてね。自分はデザイナーだと思ってて、デザイナーは全て出来なきゃいけないと思ってるんだ。洋服だったら、デザインして、自分で縫って、一個サンプル作って、それを工場に出すべきじゃないかなと考えてる。俺はデザイナーだから、頭に浮かんだものを自分の手で形にするんだ。

縫製は基本的に手縫いでやってるよ。たまにミシンもやるけど。やっぱり俺のオナニーかもしれないけど、やっぱ手縫いは手に持ったときに違う気がして。ステッチが手に当ったりだとか、口では言えない何かがあると信じているよ。自分が使ってるときに良いから、やっぱ手縫いだよね。奥が深すぎる世界。コンピューターでは直線は存在するけど、現実世界で直線は存在しないからね。ステッチとステッチの「間(ま)」や、細部に込める想いが積み重なったそこに「品」が存在すると思ってるんだ。無骨で頑丈なだけでなく品があるモノ作りを目指してる。

それとモノはやっぱり壊れるから修理することを考えながら作ってるよ。なんでも永く使おうと思えば永く使えると思うんだけどさ、革の良いところはアジだよ。ナイロンや化学繊維系のモノって買った時がピークであとはみすぼらしくなっていくだけだからね。そういう意味では自然の素材は、買った時が始まりで、それからもっとピークを迎えられるから素晴らしいと思うんだよ。

見た目にカッコ良いだけのものは作りたくない。自分の信念に嘘はつけないんだ。

細部に命が宿るってのが好きなんだ。だからいわゆるファッションのなんとなく全体をみてかっこいいってのは、あんまり好きではなくて、まあこれいっちゃうとファッション命な人に悪いんだけど。前にファッション命な人と話してて、彼らはファッション写真が重要じゃん。その雰囲気。一枚の写真が勝負であって、なんちゃってでいいんだよね。本物じゃなくていいって言ってたんだ。でも俺は本物を持たせたいって思っちゃうんだよね。それっぽければ良いっていうんだけど、俺はそれっぽいじゃ嫌なんだよね。見た目にかっこよければ良いだけのものは作りたくない。やっぱHard Worker Is Beautifulなんだよ。モノ作り=自分の信念、自分の信念を形にしてるんだからさ。

俺は動物の命を借りてモノを作ってる。だからその命に値するモノに仕上げなくちゃならないんだ。

日本では戦時中、山に杉をいっぱい植えたから、すごい鹿が増えちゃってるんだよ。 そうすると鹿が食べる地面の草木が育たなくなっちゃう、それで鹿は食物がなくなって、山を降りて里の野菜を食べちゃう。 それで猟友会の人とかが、ハントして穴掘って、屍体を埋めて、捨てちゃってるんだ。 猟師さんたちはさばいてジビエ系の人たちに肉は流すんだけど、革は捨てるしかないっていうので困ってる。 そんな話が知り合いから来て、命を頂いてるのに捨てるなんて俺らは何様だ!みたいなさ。 それはオカシイよねって話で、その鹿革を使えないかって猟師さんに提案してもらったんだ。

俺は動物の命を借りてモノを造ってる。 だからその命に値するモノに仕上げなくちゃならないんだ。 だったら俺も一緒に山入って鹿の命を頂いて、自分がとった鹿の革を剥いで、モノを作れるならOKってことで始まったんだ。 そうしてこのプロジェクトが始まったんだけど、やっぱ怖いんだよ、。 血が出るしさ、死んでいく瞬間、命が亡くなる瞬間、なんだろう、怖いんだよ。 それでWOL(WHEREABOUTS OF LIFE 命の行方)は、自分のハンティングウェアを作ろうと思ったんだ。 人の服を来て山に入りたくなかったんだよ。 自分がデザインしたものを着て山に入りたかったんだ。

俺釣りもやるんだけど、釣りは船に絶対乗らないの。 自分の足で行けるところまで、崖下りたりして、地磯から投げて釣るっていう、餌も使わない、ルアーだけで釣るんだ。 食えない魚は釣りたくないから、海釣りが好きなんだ。 だから自分の足で行けるところで魚も獲りたい、鹿もね。

俺が、その人の為に作るっていうのはさ、時間も含めてすべてを捧げて作るんだよ。死ぬほど考えて、汗流してデザインしてさ、人間は1日24時間しかないからね。

コラボっていう言い方はあんまり好きじゃないんだよ。 普段、俺はお客さんに作ってるけど、ただ単に彼へ作ったていう事。 例えばUNRIVALEDの場合、俺は毅一郎くん(UNRIVALEDデザイナー、倉田毅一郎)に作るんだよ。 カツさんだったら、カツさんのために俺は作るんだ。 やっぱりコラボっていう、表面だけの薄っぺらいさ、タグが二個ついてますみたいなね。 昔、自分はそれで良かったのかもしれないけど、今は薄っぺらいなって感じがしちゃう。 俺が、その人の為に作るっていうのはさ、時間も含めてすべてを捧げて作るんだよ。 何時間かデザインしたものをメールで送ってお終いじゃないんだよ。 死ぬほど考えて、汗流して作業してさ、人間は1日24時間しかないからね。 だからこういう作業台もムラに頼むんだけど、ムラは俺のために時間と、腕を使って作ってきてくれるんだよね。だから凄い大事にするの。それでこの作業台で俺はまた誰かの為に、時間と腕を費やしたものを誰かにパスするんだ。 素晴らしいことなんだよ。

仕事に対する愛や、発見した技をシェアして未来へ繋げていく。個として考えず、点として捉えず、長いラインで考える。

俺も服屋で働いてた時は、大量生産大量消費の世界だよ。 悩んでた時期に、初代彫俊氏のアメリカツアーに同行する機会があったんだ。 その時に丸テーブルで有名なアーティストたちが集まって何やら話しをしてるわけ。 耳を澄ますと初代彫俊氏が「この肌の色には、このインクを使って、こうやって赤を入れるんだ」って。 そうすると向こうのアーティストが、「いいね、俺の国ではこうやっていれてるぜ」ってね。 人種も、老いも若きも超えたところで議論をしてたんだ。 仕事に対する愛や、発見した技をシェアして未来へ繋げていくこと、素晴らしい考え方だよね。 この時、少し答えが見えた気がしたんだ。

それである時、「お前に資料を作っておいたから取りにおいで」カツさんから連絡もらって取りに行ったんだ。 そのファイルには、昔の革や鞄の写真やイラスト、要所要所にカツさんのコメントやデッサンが書き込んであった。 カツさんはずっとガチンコでモノを作ってきてさ、その答えの一つとして纏めた資料を俺に渡してくれたんだ。 俺もこんな男になりたいってね、そう思ったんだ。 資本主義の中に生きているからモノを売って生きていかなきゃいけない。 でもそれだけじゃない部分をどうにか大切にして生きていける様に模索してるんだよ。 いつの日か答えが解るとおもってやってるし、見つからないまま死ぬなら、俺の次にやる奴にヒントを残して死んでいこうと思うよ。 そいつに少し近道させてあげられるかなって。 個として考えず、点として捉えず、長いラインで考えるっていうね。

(1/1) ☜ 了


PROFILE

時代がファッション化しても尚、ここにあるモノたちは輝き続ける。自ら山に入って鹿の命を頂き、革を剥いでモノを作る。確かな技術に裏打ちされた仕事の数々と、デザイン 皮革裁断、縫製、彫刻、染色など、すべての行程が100%ベンチメイドで行われている事に帰来する。見た目だけの格好良さ、頑強さだけを追求しないモノ作りには想いとストーリーが溢れている。ここには、デザイナー浅井吾朗氏の細部にまで拘り抜いた究極の「品」が存在している。
Name : 浅井吾朗 / Grok Leather
DOB : 1971
POB : 東京, 日本
Occupation : クラフトマン
http://www.grokleather.com/
https://instagram.com/grok_leather/

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