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DJ KRUSH

DJ KRUSH

October 23, 2017

サウンドクリエーター/DJ。選曲・ミキシングに於いて抜群のセンスを持ち、サウンドプロダクションに於ける才能が、海外のクラブ・シーンでも高く評価されている。1992年からソロ活動を精力的に行い、日本で初めてターンテーブルを楽器として操るDJとして注目を浴びる。1994年に1stアルバム『KRUSH』をリリースし、現在までに10枚のソロ・アルバムと1枚のMIXアルバム、2枚のセルフリミックスアルバムをリリース。ソロ作品はいずれも国内外の様々なチャートの上位にランクイン。現在も年間、約30カ所以上のワールドツアーを敢行している。地域を越えて、多岐に渡り高い評価を得続けるインターナショナル・アーティスト。

お金がなかったから、そういう発想になっていくわけだ。楽しいよ、想像力をフル回転させないといけないから、今はみんな机の上に並んでるよね!?HIP HOPもそうだと思う、リズムマシーンは買えないし、家にあるマイクを使ってなんとか表現しようっていうところだと思うんだ。

俺が子供の頃は、共同便所六畳一間の狭いアパートに家族4人で住んでた。そんな狭い部屋なのに親父は、TRIO(註釈) *4チャンネルSQ方式の物凄くデカい昭和の家具調ステレオをブチ込んで、俺に花火の音なんかを聴かせるわけだ。「お前、真ん中に座ってみろ!どうだ!?もう頭の真上で鳴ってるだろ!」ってね。(笑聲)時には*JBや*SANTANA、*Milesとか聴いてた。親父は音楽が好きだった。

当時は、貧乏でプラモデルさえ買ってもらえない。同級生には、お金持ちの子がいて買ってもらえるわけだ。その子が作り終わった船や車、その余ったプラスチックのフレームや部品、とにかく色々なゴミを貰ってきて、自分でそのバラバラの部品を繋げてロボットを作ったりした。そういう事をやってたんだ。今思えば、それは結局HIP HOPと同じで、サンプリングで色々なところから持ってきた音を組み立てて一つの作品にしていくっていう事だったんだ。

小学五年生の時に鼓笛隊に入って、物心ついた頃にはロックバンドでドラム担当になってた。友達の家に集まって雨戸バーンッと締め切って練習するんだ。ベースや弦楽器は小さいアンプ入れてたけど、ドラムはどうにもならないじゃない?その子お金持ちだからキッチンに行って今まで見た事のない洋物のクッキーの缶とかみんなで食っちゃって、その缶の蓋を並べて自分でドラムを作ったりしてた。ドラムのキックペダルとスティックだけは学校から拝借してきてね。(笑聲)それで*Smoke on the Waterとか叩いてた。お金がなかったから、そういう発想になっていくわけだ。楽しいよ、想像力をフル回転させないといけないから、今はみんな机の上に並んでるよね!?HIP HOPもそうだと思う、リズムマシーンは買えないし、家にあるマイクを使ってなんとか表現しようっていうところだと思うんだ。

隣に住んでたやんちゃなお兄ちゃんたちがドーナツ盤のブラックミュージックを聴いてた。ロックもパンクも色んな音楽が好きだったけど、それを聴いた時に凄くリズムが違う感じがしたんだ。言葉に出来ない衝撃だった。それからブラックミュージックに興味を持ってレコード集める様になっていったんだ。俺にはこっちの方がノリに合ってた。*COMMODOORES、*Stevie Wonder、*Kool & the Gangの古いやつなんかを聴いてた。だからHIP HOPのネタになるようなものを、リアルタイムで聴いてた。今でも、そのあたりの日本盤の7インチは持ってる。どうして同じ16ビートなのに、スネアハットキックのGROOVEがこんなに違うんだろう?そこに凄い興味を持っていったんだ。だから*S.O.S. Bandが来れば観に行くし、昔のファンク系のバンドやブラック系もよく観に行ってた。俺、MUGEN(註釈)には結構通ったんだよ。ライブやる時に丸いブースがレッカーみたいに上がっていくんだ。バンドが終わるとブースがビューンとステージの真ん中降りてくる。人がちゃんと乗っかってて可愛いんだ。(笑聲)中がブラックライトで光るようになっててまた中が怪しい。視覚的にもやられるし、そんな中でファンクが太い音で出てるわけだ。シビれたね。今はそういう場所がないよね。

綺麗に身なり整えて、真っ白なテーブルにナイフアンドフォークで食べるよりも、俺はマンホールから世の中を覗いていく方が世界をちゃんと見ることができるんだ。俺は今でも道端感を大事にしてる。

*Wild Styleを観た時は、本当に衝撃的だった。Wild Styleのストリート感に自由を感じたんだ。あるものでやるっていう、その不良感に見事に心惹かれて行ったんだ。ターンテーブル二台っていう発想も凄いし、普通二台使おうなんて思わないでしょ!?(笑聲)あの時代に彼らは訴えたい事があった。それは銃で戦う代わりに、マイクを持って戦えっていうメーッセジだった。グラフィティーにしても彼らは、みんな同じスプレー缶を使っているのに全然違うデザインを描いたりする。物事を発想する想像力、そこがもう際限なく自由なんだ。若い時には力はあるけど迷うし、どこに向かえば良いか分からない。でもそれを観た時、やっぱり俺もこの先どう生きようかって事を考えさせられた。時代背景もあるけど、あの映画がきっかけで本当に自分がやりたいことがスパっと見えたんだ。

その何年か後には、*Lee Quiñonesにも会えたし「君らの映画を見て俺はHIP HOPを始めたんだ」って思いも伝えられた。*Futuraと一緒に仕事も出来た。共通して言える事は、彼らは自分にしか出せない独特な個性を持っていた。もちろん他にも素晴らしいアーティストはたくさんいたけどみんな道端だった。道端で踊って、道端で描いて、道端に出て音出して、ラップで言いたいこと言い争って吐き出していく。俺も遊びまわっていたのは道端だったし、女の子ナンパするのも道端、高級ホテルではなくて道端で育ってきた。道端に立ってるボロい赤提灯でお酒飲んだり、道端の割れてるガラスだったり、道端のゴキブリの死骸だったり、その方がピンと来るんだ。綺麗に身なり整えて、真っ白なテーブルにナイフアンドフォークで食べるよりも、俺はマンホールから世の中を覗いていく方が世界をちゃんと見ることができるんだ。俺は今でも道端感を大事にしてる。だからこそWild Styleはあまりにも決定的だった。彼らがやってる表現、それはお金をかけてものを買うんじゃなくてあるもので表現していく発想だった。やっぱり映像や音含めWild Styleがこの道を授けてくれたんだ。

初めて人前でパフォーマンスしたのはホコ天だったし、*MUROとも原宿で会ってる。当時は*竹の子族とか、ブレイクダンサー、*沖田浩之くん、ロックンローラー全盛の時代だ。その後に、クラブDとかHIP HOPが流行りだして、DJコンテストが色々な場所で始まるようになった。賞金と商品が欲しくて常に参加して荒らしまくってた。(笑聲)3位以下になったことはないよ。*スチャダラや*ECD、*Rhymesterの前身だったギャラクシーとかっていう人たちも出てた。俺は二回目の大会で優勝獲って、それからクラブで回すようになったんだ。それで*KRS-Oneとか*Dream Warriorsが日本のタワレコ来た時に前座やったりすると「今度六本木に新しいクラブ、ドゥルッピードゥルアーズができるからKRUSHやらない?」って声が掛かったりね。その頃は、*DJ HONDAと一緒にやったりもしてた。

 

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